2008年11月01日

自立農力

土曜日は、各種おすすめ本を紹介する書評の日。

きょうご紹介するのは、尾崎零著『自立農力』です。



皆さんの周りに「自立」している人は、どのくらいいるでしょうか?

現在の日本は「保証なき時代」に突入したと言われています。

リーマンブラザースの破綻に端を発した世界的な株安は、
「保証なき時代」の象徴的な出来事ではないでしょうか。

投資信託に大金を預けていても、人生の「保証」はありません。
一流企業に入社したところで、人生の「保証」はありません。

会社どころか、年金すらマトモにもらえるか分からないのが、
現在の日本の姿だと思います。

「国」や「会社」に頼っていれば「保証」がある時代ではなくなったのです。



では。



変化する社会の中で「自立する」とは、どういうことでしょうか?

『自立農力』の著者は、30年間、有機農業に関わってきた尾崎零氏。
有機農業の畑から「自立とは何か」というテーマを語りかけてきます。





著者の尾崎さんが行っているのは「有機農業」。
有機農業と一口に言っても、多種多様な有機農業があります。

サラリーマンが家庭菜園で野菜をつくるのも「有機農業」ならば、
納豆用大豆をつくるアメリカの超大規模農家も「有機農業」です。

そんな中。

尾崎さんが行っているのは「少量多品目栽培」といわれる有機農業。
日本の有機農業では「王道」といってもいい農業形態です。



「少量多品目栽培」とは何か。



農業には「連作障害」というのが、付き物です。

同じ畑で何年も「ナス」だけを作り続けたら病気になりやすい、
というのが「連作障害」というものです。

病気になりやすいということは、農薬を使わなけりゃならないということ。



では農薬を使わない有機農業では、どうしたらいいかというと。

作物や畑を、年によって変えていくんですね。

去年はAの畑でナスを、Bの畑でキャベツをつくった。
だから今年はAの畑でスイカを、Bの畑でネギをつくろう。

というふうに、作物や畑を変えて、連作障害が起こらないようにします。
そのためには、いろいろな種類の作物を、ちょっとずつ作らなきゃいけない。

それが、尾崎さんの行う「少量多品目栽培」という農業形態です。



こういう農業形態では、1年1年が、新たなチャレンジです。

農業は、1年ですべてリセットされます。(果樹は除く)
毎年、春になれば新しい1年が始まります。

今年は、去年と同じ気候ではありません。気候は毎年違います。
台風が来る年もあれば、来ない年もあります。暑い年も、寒い年もあります。

そして少量多品目栽培であれば、同じ畑で同じ作物を育てることもありません。



毎年、違う気候の中、違う畑で、違う作物をつくっていく。
尾崎さんの農業は、常に変わり続けることを求められる農業です。





尾崎さんは、農業を目指す人には、2通りのパターンがあるといいます。

・徹底的に調べて、準備万端整えてから始める人と。
・あまり深く考えずに、とりあえずやってみる人と。

現代社会では、ほとんどの人が前者のパターンだと思います。

新しいことを始めるにあたり、
良く調査し、リスクを回避することは、当然のことです。



しかし。



ここに、尾崎さんは疑問を抱きます。

『やろうとしている新しいことがいままでの延長線上にあることなら、
 そのセオリーも生きてくるだろうが、そうでない場合、どうだろうか』と。

例えば。サラリーマンが農業をしようとする場合を考えてみましょう。
(尾崎さん自身も、このパターンで30年前に就農)

農業をやるのならば、それまでの社会とは全く違う社会に入ることになります。
住むところも違えば仕事も違う。求められる技術も違います。

さらに「有機農業」を行おうと思うのならば、
その地域で行われている農業技術とも全く違うものが必要になるのです。

新しい土地で、新しい暮らし、新しい仕事を始める。

それは「今までの延長線上」には、
とらえることができないライフスタイルです。

他人に相談しても、大抵は反対されるし、
不安になる材料ばかりを提供してくれます。

そこに「保証」はありません。




尾崎さんは「何の資金もないサラリーマン」から「有機農業」を目指しました。

そこで「徹底的な調査」などを行っていては、
「不可能」という結果しか出ないでしょう。

将来に対する保証などは、どこにもありません。



ですから、尾崎さんはこう語ります。

「わたしはなにごとにおいても、準備万端整えてから始めようとは考えない。
 やろうと思ったらスッとやる。そして、やりながら覚えていく。」

野菜づくりも、野菜をつくりながら、学ぶ。
作り方を学んでから作るのではなく、とりあえず作ってみる。

よく言われることですが、成功の反対とは「失敗」ではありません。
成功の反対語とは「何もしない」ということなのです。




実際、今の時代に成功している人というのは
「徹底的に調査してから始める」人よりも、
「とりあえずやってみる」の精神を持っている人ではないでしょうか。、

典型的なのが、世界一の企業「グーグル」。

グーグルがyoutubeを買収したときも、そこには様々な問題がありました。
著作権はどうするのか、収入システムはどう築くのか。

そういうことの答えが全く無いときに、
グーグルはyoutubeを買収してしまいました。

普通の企業であれば、おそらくは二の足を踏む案件だったことでしょう。

最近話題になった「ストリートビュー」も、そこにプライバシーの問題などが
出てくることは当然、予想されるにも関わらず、
「とりあえず」世に出しちゃいます。やってから考える。やりながら考える。

世界一の企業は、そういうスタイルなのです。



そして面白いことに、世界一の企業である「超マクロ」の世界と、
我々の身体の中の「ミクロ」の世界は、同じようなスタイルをしているのです。



本書のあとがきに、一つの文章が紹介されています。

『秩序は守られるために絶え間なく壊されなければならない』

ベストセラーになった福岡伸一著『生物と無生物のあいだ』の一節です。


私たちの体というものは、常に分子が入れ替わり、
流れの中の「よどみ」のようなもの。

ある一定の物質がそこにあるのではなく、
常に入れ替わっている秩序こそが、我々の身体です。

そこでは「変化」することによって、はじめて、秩序が保たれているのです。



あらためて。



変化する時代の中で「自立」するとは、どのようなことでしょうか。

それは「安定」という楽園は無いのだということを、自覚すること。

そして「生き続けること」とは、我々の身体自身がそうであるように、
「変化し続けること」であることを自覚すること。

その上で、変わり続けることじゃないでしょうか。



毎年、姿を変え続ける尾崎さんの畑が、そう教えてくれると思うのです。



posted by 加藤のどか at 10:04| 高知 ☁| 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月25日

新・動物実験を考える

土曜日は、各種おすすめ本を紹介する書評の日。

きょうご紹介するのは、野上ふさ子著『新・動物実験を考える』です。



動物実験。

その存在は、多くの人が知っていると思います。

しかし、具体的にどのような実験が行われ、
その実験が我々の生活にどのように影響し、どのような効果があるのか。

詳しく知っている人となると、少ないと思います。



私たちのほとんどは動物実験について知識を持っていませんが、
私たちの生活を成り立たせるために、数多くの動物実験が
行われていることは、確かなことです。

華やかな生活の、よく言えば「縁の下の力持ち」、わるく言えば「闇の部分」。

そんな動物実験に、今日はスポットライトを浴びせてみたいと思います。



動物実験は、どのような製品に対して行われていると思いますか?

すぐに思いつくところでは、農薬や食品添加物などの「毒性」実験です。

最近話題のメタミドホスとかメラミンとかにしても、
「基準値を大幅に上回るメラミンが〜」とか報道されていますよね。

この「基準値」を決めるのが、動物実験。

メラミンを動物に与え、健康への影響を確認して、
じゃあ体重が○○倍の人間だったら、このくらいかな〜。

という感じで、食品添加物などの「基準値」は決められます。
(当然、大量の薬物を与えられた動物は死にます)



他に連想しやすいところでは「医薬品」など。

副作用には、どのようなものがあるか。
どのくらい投与すれば、実際に効果があるのか。

そういう値をはじき出すための基準は、動物実験にあります。
メジャーな動物実験の一つですね。



ちょっと思いつかないところでは、ダイエット食品。
「ウーロン茶がダイエットに効果がある!」なんてことを証明するためには
動物実験が必要になります。

ウーロン茶を飲ませたマウス、水を飲ませたマウス、日本茶を飲ませたマウスを
強制的に運動させ(水に30分間、おぼれさせて、手足を動かさせるとか)
体重に変動があったかどうか、脂肪のつき具合はどうかなどを観察します。
(当然、解剖して)



そして。意外なところでは、化粧品。
化粧品は直接、肌につけるものですから、厳しい安全基準が求められています。

シャンプー・リンス・洗剤なども、ほとんどは動物実験が行われた上で、
人間に対する安全性を確かめているのです。

この実験を経ないことには、新商品を発売することができません。



では。



実際には、どのような実験が行われているのでしょうか?
おそらく、だれもが利用している「化粧品(シャンプー等、含む)」で
行われる動物実験を見てみましょう。



化粧品に対する動物実験といっても、
「お猿さんにファンデーションを塗って、あらカワイイ♪」
なんていう、のん気な実験ではありません。

そんな、ほのぼのとした光景とは無縁の動物実験が、
「化粧品開発」のためには、行われています。



化粧品(シャンプー・リンス・洗剤・クリームなども)など、
人の肌に直接触れるものの実験に、最も適しているのは「人の肌」ですが、
まさか、人間を実験に使うわけにはいきません。

化粧品の実験に使用されるのは、ウサギです。



ウサギは涙腺(涙を出す器官)が発達していないために、
目に異物が入っても、洗い流すことができません。

この特徴を利用して、化粧品やシャンプーなどの製品をウサギの目に注入し、
粘膜がただれていく過程を、観察します。

眼は開きっぱなしにし、定期的に、シャンプー液などをたらし続けます。

ウサギは、涙でシャンプー液を流すことができませんから、
眼球は徐々にただれてゆき、やがては失明に至ります。

その過程を観察することにより、化粧品の安全性は確かめられるのです。





もちろん、この実験には意味があるからこそ、実験が行われているわけです。

50年ほど前には、粗悪な化粧品が何の規制もなく出回り、
皮膚病を引き起こすという深刻な被害がありました。

そういう粗悪な製品を防ぐための手段として、
ウサギの眼を使う動物実験が行われることとなったのです。



しかし、すべての製品に対し、
こういう実験が行われているわけではありません。

昔から使われていて、確実に安全性が確認されている商品ならば、
動物実験の必要はありません。(例えば、昔ながらの洗濯石鹸とか)

しかし、ご存知のように、多くの化粧品というのは、
シーズンごとに「秋の新色」とかいって、新商品を売り出します。

シャンプーやリンスも、テレビをつければ、
新製品のCMを放映していますよね。

新製品を発売するためには、実験を繰り返さないといけません。

華やかな新発売化粧品CMの裏には、こういう実験が必要なんです。





一体、日本では1年間に、どのくらいの動物実験が行われているのでしょうか。

本書『新・動物実験を考える』によれば、
年間約2000万匹の動物が、実験の犠牲になっています。

そのほとんどは、化粧品のような「安全性」を確認するためのものだそうです。



何も、動物実験を全部やめろ! と言いたいのではありません。

必要なものは、必要です。

しかし、必要ではないものもある。むしろ、それが大半ではないかと思えます。

そして、私たちの生活を成り立たせている、これらの動物実験に対し、
きちんと消費者の一人として、知る必要があるのではないかとも思います。

ペットとしてウサギを可愛がっている女の子が。

一方で、季節ごとに新製品のシャンプーを使い、ヘアカラーを使い、
新色の化粧品を買っているとしたら。

その行為の裏に、何千匹のウサギの死があることを、
知らなければいけないんじゃないか。そう思うんです。
(ま、普通は知ったら買わないから、知らせるはずがありませんが)



僕は、動物実験は減らすべきだと思っているのですが。
(動物実験反対! というと、すげー宗教っぽくて嫌なんだけど)

動物実験に反対! という意見に対しては。いろいろな反論がつきものです。



「どうせ殺される犬猫なら、実験に使って役立てたほうがいいんじゃない?」

「はじめから実験用に作られた動物なら、仕方ないんじゃない?」

「人間は動物の犠牲なしに生きられないのだから、実験動物使用はやむを得ない」

「動物実験をするなということは、人体実験をしろということか?」

「動物実験なしには、病気で苦しんでいる人を救えないのでは?」

「動物実験によって医学が進歩し、みんな長生きできるようになったのでは?」



本書では、これらの問いに対して、きちんとした答えを述べているのですが。

まさか、その答えをすべてここにずらずら書くわけにもいかないので、
丸写しすることはしませんが(著作権法違反になりそうだし)
(何より面倒くさいし)(だって草刈りとかもしないといけないから)。

皆さんも答えが気になるでしょうから、独断で、
これらの問いに対して、1行で答えていきましょうか。



「どうせ殺される犬猫なら、実験に使って役立てたほうがいいんじゃない?」
⇒生命に対するモラルの問題。同じように「中絶児だから〜」という論にもなる。

「はじめから実験用に作られた動物なら、仕方ないんじゃない?」
⇒均一な実験用動物の反応は、科学的知見は増やせど、人間に応用できないもの。

「人間は動物の犠牲なしに生きられないのだから、実験動物使用はやむを得ない」
⇒必要なことと、いくらでもやっていいというのは違う。

「動物実験をするなということは、人体実験をしろということか?」
⇒現実に、動物実験のあとに人体実験がある。動物実験を減らすことは、人体実験
 をしないことにつながる(2行になってしまった)

「動物実験なしには、病気で苦しんでいる人を救えないのでは?」
⇒動物実験は医学の役に立っていない。人間は千差万別、実験動物は均一。

「動物実験によって医学が進歩し、みんな長生きできるようになったのでは?」
⇒上と同じ答え。動物実験医学は、人間の医学には役に立たない。



結論。

1行じゃ説明できないねぇ。答え知りたい人は、本を読んでください。(゜▽ ゜)
(じゃあ書かなきゃいいのに)



反論に対する「回答」の中でも。

「動物実験が人間の医学の役に立たない」という話には
頭の上に「?」マークが浮かぶ方も多いのではないでしょうか。

これについて、最後にちょっと触れておきますね。



現実的にいえば、人間の病気というのは、ある一因によって
引き起こされるものではありません。

病気の原因は、いろいろあります。

日々の生活のストレスなど、精神性のものもあります。
遺伝的なものもあります。食べ物の添加物や、食生活のリズムも関係します。

いろいろな要因が複合的に絡み合った上で、
病気などの症状として現れるものです。



例えば「魚のコゲを食べると癌になる」というのは、有名な話。

しかしこれは、実験動物にひたすら魚のコゲを食べさせたら、
癌になりましたよ、という話が元になっています。

普通の人間の生活では、決して食べないような量の「コゲ」を
マウスに食べさせて、癌になったから「コゲ」には発がん性があると言われても。

それは「マウス」に対しては当てはまりますが、
人間に対しては、当てはまらないのは明らかです。



たしかに、マウスに「魚のコゲ」を大量に食べさせると、
マウスが「癌」になるという因果関係は、分かった。



だから何? それが人間の医療の役に立つの? という話です。

実際、役には立ちません。



えらくビッシリと内容がつまっている濃い本なんですが。

我々の生活を支えている、いや、
大半は支えていないけれども、引き続き行われている、
数々の「動物実験」に対しては。

人間として、最低限の知識を持つべきだと思うのです。








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posted by 加藤のどか at 09:53| 高知 ☁| 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月18日

書評:ヤマザキパンはなぜカビないか

土曜日は、各種おすすめ本を紹介する書評の日。

きょうご紹介するのは、渡辺雄二著『ヤマザキパンはなぜカビないか』です。


「食」に関する話題も結構とりあげる「都会育ちの田舎暮らし」ですが。

あんまり、添加物の話だとか、無農薬だとか、玄米だとか、
そういう話するの、気が進まないんですよ。はっきり言いましょうか。


だって、頭おかしい人だと思われるでしょう。


このメルマガを読んでいる人の大半は、
「都会育ちの田舎暮らし」の記事に納得する部分があるのだから、
読んでくれているのでしょうが。

普通の人に「添加物がどーのこーの」とか「玄米がどーのこーの」とか
熱心に語ったら、ああ、頭おかしいんだな、って思われます。


だって、昔の僕はそう思っていましたから。


東京にいたときは、普通にファストフードとか外食して、
レトルト食品やインスタント食品も普通に食べていて、
特に自分の体に問題感じていませんでしたから。そんな僕でした。

だから「添加物まみれの食品を食べるとガンになるわよぉぉぉ(゜△ ゜)」
とかいう発言をしているオバチャンは、頭がおかしいと思っていました。

いや、頭がおかしいとまでは言いすぎだけれど、
マクロビだとか、デトックスだとか、無添加にこだわるだとかってのは、
ちょっと宗教入ってるんじゃねぇか、って思っていましたよ。


実際、田舎に来てからも、意識的に添加物を避けようとか、
していなかったんです。最初は。


ただ、住んでいる土地がド田舎なものですから、
自然とファストフードとかから、遠ざかっていったんです。

だって、マックや吉野家に行くのに、高速道路使わないといけないんですから。

それに、近所の農家さんが作った野菜をもらったりしていると、
自然と、食生活が健康的なものに近づいていったんです。



そんな生活が1年ほど続いた、去年の冬のこと。



お正月用に、カズノコを買おうと思ったんです。
(前にも、メルマガでこの話をしたこと、あったかもしれないけれど)

スーパーで、ちょっと良いレベル(中の上くらい)のカズノコを買って、
お正月用の楽しみにしようと思ったんですな。


で。


食べてみたら。




(゜△ ゜)オエエェェェェェエェェェェエエェエップゥ!





薬クセェ! ナンだこりゃ。とてもじゃないけれど、飲み込めない。

毒インゲンを食べた人も、こんな感じだったのだろうか。
なんか薬品の味がして、いつまでも舌に残っている感じがします。オエェ。

これは明らかにおかしいだろうと思ったので、
買ったスーパーに連絡したんですな。これこれこういう事がありました、と。

で。スーパーの方も丁寧に対応してくれまして、
売り場の商品を確認してくれたんですな。

そしたら、別になんてことないし、他に同様の苦情も来ていないとのこと。

「お望みでしたら返金しますが」なんてマジ丁寧に対応してくれたのですが、
ここで返金受けちゃうと、絶対自分が頭おかしいクレーマーみたいに
なっちゃうかなと思ったので、そこはお断りしたんですが。



ま、そういうことがあったんですよ。去年の冬に。
(ちなみにカズノコは庭に捨てた)



その事件(個人的な事件)の原因が、
きょうご紹介する『ヤマザキパンはなぜカビないか』の中で説明されています。



タイトルは『ヤマザキパンはなぜカビないか』になっていますが、
要は、添加物に関する本。その一例として、ヤマザキパンが挙げられているだけ。

ヤマザキパン以外にも、いろんな事例が紹介されているんですが、
その一つが、僕も経験した「カズノコ」の話です。ご紹介しましょう。



『カズノコはなぜ「黄金色」をしているのか』



カズノコって、きれいですよね。ピカピカの、透き通るような黄色をしています。

でも、もともとこんな色をしては、いないんです。

カズノコの原材料は、スケソウダラの卵。
これは本来、薄茶色をしていて、血もついていたりして、
そんなにキレイなものじゃありません。

じゃあ漂白剤でも使っているのか? と思って、裏のラベルを見てみても、
「原材料 魚卵」とあるだけで、どこにも添加物は書いていないんです。
(実際、僕が買ったカズノコも、そうでした)

しかし、実際には添加物は使われています。
表記はされていませんが、使われているんです。

そこには、こんなカラクリがあります。



カズノコの漂白に使われるのは、過酸化水素水。
小学校の理科の実験で使いましたよね。酸素を発生させる実験です。

身近なところでいえば、消毒薬の「オキシドール」。あれが過酸化水素水。
オキシドールを使って、カズノコをきれいな黄色にしているんです。



時はさかのぼり、1980年。

当時、カズノコやカマボコや、ゆで麺などの漂白に、
過酸化水素水が使われていました。

ところが生物実験で、過酸化水素水には、発がん性があることが判明。

時の厚生省は
「過酸化水素水に発がん性があることが分かったので、
 食品に可能な限り使用しないように」という通達を行いました。

事実上の、使用禁止です。



困ったのは、食品業界。

使わないようにって言われたって、使わなきゃ白くならない。
白くならなきゃ、お客さんは買ってくれない。だから困った。

特に困ったのが、カズノコ業者でした。



カマボコやゆで麺などの漂白は、他の食品添加物で代用できたのですが、
カズノコだけは、過酸化水素水に代わる添加物が、見つからなかった。

過酸化水素水がない限り、カズノコをきれいな黄色にはできません。

そこで、カズノコ業界の人たちは一生懸命研究して、
漂白に使った過酸化水素水が分解されるという酵素「カタラーゼ」
という物質を開発。

過酸化水素水は使うけれど、その後の処理で、
残留させないから、大丈夫だ! という話です。

厚生省はこれを許可し、カズノコの漂白には、
引き続き過酸化水素水を使うけれど、カタラーゼで分解するから
ダイジョブダヨ! イインダヨ! グリーンダヨ! ってことになったんです。



が。



この本の著者は「本当に分解されてんのかい?」と疑ったんですな。
自分の目で確かめなけりゃ、気が済まなかったのでしょう。

時はちょっと現代に近づき、1995年のこと。

著者の渡辺さんは、カズノコに関する独自の調査を行いました。

市販されているカズノコを買ってみて、本当に過酸化水素水が
残留していないか「日本食品分析センター」に調べてもらったんです。

対象商品は、以下の4種類。

・小田急百貨店(新宿)の「塩数の子」
・丸正食品(渋谷)の「味付け数の子」
・ヨークマート(港区)の「味付数の子」
・東武百貨店船橋店の「塩数の子」

結果。

このうち、下の2つ。

ヨークマートと、東武百貨店のカズノコから、0.2ppmの過酸化水素水が
検出されたそうです。これは食品衛生法に違反していることになり、
製品の回収ということにもつながりかねない事態でした。



で。



『ヤマザキパン〜』の著者、渡辺さんは、この結果を厚生省に
持って行ったんですな。過酸化水素水、残ってんじゃねぇか、って。

連絡を受けた厚生省は、あらためてカズノコ加工業者の検査を行いました。


厚生省が調べなおした結果は。


東武百貨店のカズノコは、きちんと規定の検査が行われており、
過酸化水素水が検出されたことはない、との話。

ヨークマートのほうは、そもそも過酸化水素水なんか使ってない、という話。

で、終わりになったわけです。
販売禁止や製品回収が行われることは、ありませんでした。



その後も渡辺さんは独自に聞き込みや調査を続けますが、
所詮、一消費者の力では限界があります。

個人がいくら「過酸化水素水を検出した!」といっても、
そんなのは信用されない、力を持たないのが世の常。

実際に食品分析をした「日本食品分析センター」の技術官の人は
「0.2ppm検出されるということは、90%以上の確率で
 過酸化水素水が残留しているということだ」と、自信を持っていたそうですが。

厚生省が公的に行う検査では、検出されることは、ありません。



でも、1995年の話でしょう? 今はもっとマシになってるんじゃない?

と思いたいところですが。

著者の渡辺さんが、2007年の暮れ、
都内のある和食料理店で食事をしたところ。

出てきたカズノコを口にいれた瞬間、消毒薬の味がしたそうです。

あの、過酸化水素水(正確には、過酸化水素水であろうと、
渡辺さんが思っている)の味でした。

僕が泣く泣くカズノコを庭にばらまいたのと、同じ時期の話です。
たった1年前の話です。



食品添加物は、本当に体に悪いのか。
っていうか、そもそも残留しているのか。
ほとんどの人は、カズノコを食べても気にしないんだから、大丈夫じゃないのか。

という立場の人もいるでしょうが。



僕が体験したことは事実だと、断言できます。
(本の内容が真実だと保証することは出来ないけれど)

少なくとも、僕が1年前に買ったカズノコは、薬の味がしたし、
とても食べられるものじゃなかった。だから泣く泣く庭に捨てた。悲しかった。

これは、事実です。



『ヤマザキパンは〜』の中では、このカズノコの話と同じような、
いろんな事例が紹介されています。

章のタイトルだけ、ずらっと紹介しときましょうかね。


第1章「ヤマザキパンはなぜカビないか」
第2章「コンビニの弁当・惣菜・カット野菜はなぜ傷まないか」
第3章「回転寿司店のお寿司は安心して食べられるのか」
第4章「グレープフルーツ、レモン、オレンジはなぜカビないか」
第5章「カズノコはなぜ黄金色をしているのか」
第6章「ハム・ソーセージ、いくら・たらこはなぜ黒ずまないか」
第7章「はんぺん、ちくわ、漬物はなぜ腐らないのか」
第8章「生そば、生うどんはなぜあんなに日持ちするのか」
第9章「駅弁はあぶない添加物だらけ」

食べられるものが、また減りそうです。







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