2008年10月27日

一匹の蜘蛛

田舎に引っ越してきた、初めての夏。

一匹の蜘蛛が、家の軒下に巣を張りました。



都会では見たことのない、黒と黄色の、大型の蜘蛛です。
調べてみると「黄金蜘蛛(こがねぐも)」という種類だそうです。

コガネンと名付けました。



夏になり、気温は上がり、虫たちも増えてきました。

しかし、どうもコガネンは元気がありません。

それもそのはず。
コガネンの巣に、虫がかかっているのを見たことがありません。

あまり虫をとるのが、うまくないのでしょう。

かわいそうなので、庭の野菜についていた青虫を、
コガネンの巣にかけてあげました。

コガネンは、青虫を糸でまき、食べて、一回り大きくなりました。





庭で、青虫やバッタをつかまえては、コガネンに与えます。

コガネンは、すくすくと大きくなっていきます。

巣もだんだん、立派なものになっていきました。



夏の盛りの暑い日。

コガネンは、一人で大きなカナブンを捕まえました。
巣にかかったカナブンは、まだ暴れています。

自分よりも大きなカナブンを、糸で巻き、3日かかって食べました。



秋になり、少し肌寒い季節になってきました。
虫の数も少なくなってきました。

コガネンは、好物の青虫を食べて、まんまると太っています。



ある日。

コガネンが痩せています。

昨日までは、元気にまるまる太っていたのに、
見る影もないほど、やせ細っています。

不思議に思って巣の回りを見てみると、卵がありました。

はじめてコガネンが女性だったことを知りました。



産後の肥立ちのために、好物の青虫をあげました。3匹あげました。

コガネンは、再び太っていきました。



ある日。

またコガネンが痩せています。

せっかく青虫で太らせたのに、また痩せています。

見てみると案の定、また卵を産んでいます。勝手なものです。

また、青虫をとってきて、あげました。



ある日。

また、一段とコガネンがやせ細っています。

見ると案の定、3つの卵が並んでいます。



巣はボロボロになりました。

元気なときには、毎朝張り替えていた巣は、いたるところがほつれ、
風が吹いたら壊れてしまいそうです。

巣にバッタをひっかけても、コガネンは動きません。
食べる元気もないようです。

秋はまた、一段と深まっていきます。



秋というよりも、冬に近づいた、ある日。

コガネンは、いなくなりました。

ボロボロの巣と、3つの卵を残して、どこかへ行きました。












翌年の春。

コガネンの子供たちが、庭に散ってゆきます。

野菜の間に巣をはる者、木の枝に巣を張る者。
皆が皆、元気に旅立ってゆきます。

軒下に巣を張る蜘蛛は、いませんでした。



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posted by 加藤のどか at 09:57| 高知 ☁| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月20日

とりとめのない話

♪夕焼け小焼けの赤トンボ〜 負われて見たのは いつの〜日〜かぁ〜
(これ以降は知らない)


トンボと言えば、秋の風物詩。
というイメージがありますね。

秋の夕暮れ、田んぼやススキの原に、アカトンボが飛び交う。

のんびりと飛んでいる、ほのぼのとした昆虫。
普通、頭の中に描く「トンボ」は、そのような風景です。


が。


田舎に来て判明したこと。

意外と、トンボは秋にはいない。
トンボは、秋よりも、夏のほうが多いのです。

たしかに「赤」トンボに限れば、秋のほうが多いかもしれません。

でも「トンボ」全体を見てみれば、秋よりも、
圧倒的に夏のほうが多いです。僕の実感からすれば。

ピークの8月ごろには、今(10月)の10倍くらいは
いるんじゃないか、っていうくらいの違いです。



夏にちょっと草刈りなんかすると、
小さな羽虫がうわーっと草むらから飛び上がります。

すると、どこからか羽虫の気配をキャッチしたトンボがやってくるんです。

小魚の群れに突入していくサメのようなものですかね。
飛び上がる羽虫を、片っ端から食い散らかしていくんですよ。トンボは。



全然ほのぼのしてない虫です。



「草刈りのときに舞い上がる羽虫に群がるトンボ(殺戮者)たち」は、
僕的には夏の風物詩なのですが。

あまり一般的なイメージではないでしょうね。

イメージがかなり実際とかけ離れていることは、他にもあります。



チョウチョ。蝶々。古文でいうところの、てふてふ。

こいつのイメージは「春」ですよね。
春、キャベツ畑に舞い踊るモンシロチョウたち。



でも、実際は。(うちの周りに限るが)

蝶々は年がら年中います。いつでもいる。デフォルト昆虫です。

多少の増減はありますがね。
春夏秋冬、なんかヒラヒラしていますよ、あいつら。



ただし、種類は微妙に違います。
モンシロチョウの多い季節もあり、アゲハの多い季節もあり。

今はアゲハをよく見かけますね。



余談ですが。そういえば東京にいたころは、
アゲハ蝶なんて見つけようものなら大騒ぎで追いかけたものだが、
今じゃただの虫。東京にいたときの「蟻」くらいの感覚です。珍しくもない。
余談(脱線)おわり。



モンシロチョウの子供である「青虫」にしたって、
やっぱり春のものだと思うじゃないですか、普通。

でもあいつ、真冬のキャベツにくっついていたりします。

朝、霜が降りて、キャベツも凍っているのに、
青虫がついているんですよ。あ、青虫も凍ってますけれどね。

どういう仕組みか知らないけれど、
青虫は、凍ってしまっても、日光を浴びれば自然解凍します。

解凍終了したら動き出して、またキャベツ食べるんですな。
不思議なものです。日光が+Lhacaみたいな役割なのですね。



あ。今更言うのもナンですが、今日の話は全然まとまり無いですよ。
雑談です。(いつも雑談だろうと突っ込まれたら返す言葉もないが)



とんび。

トンビも、イメージだけだと「トンビが鷹を生む」とか言うんだから、
へなちょこっぽい鳥じゃないですか。

だけど、トンビって実際に見たら、超カッコイイ。

ピーヒョロロとかいって、頭上かなり近くまで降下してきたときには、
マジ大迫力。かなりすごい。惚れます。

ま、僕は野生の鷹を見たことないから、比べようがないんですが。

鷹を見ていた昔の人は、「トンボしょべぇ(笑)」
とか思っていたのかもしれないけれど。
鷹を見たことない僕からすれば、トンビで十分格好イイんです。

っていうか、あれを「鷹」だと言われても、正直分からない。



カラス。

カラスは頭いい。本当にすげえなと感じます。

あいつら、仲間うちでいろいろ連絡とりあっていると思います。

例えば
「あっちの田んぼで稲刈り始まったから、
 ネズミとか丸裸になって、田んぼから飛び出してくると思うぜ!」
みたいな情報を、しゃべっていると思いますよ。

かなり広い範囲を監視していて(鳥だから上空から見れるし)
ここにエサがいそう! と思ったら、カーカー言って連絡とりあって、
どこからかやってきますからね。群れが。

カラスの頭の良さには、いつも感心しています。

あ、トンビは格好いいけれど、馬鹿だと思います。何となく。



とりとめのない話ですが。

たまには、こういうとりとめのない話でも、よしとしましょう。



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posted by 加藤のどか at 10:51| 高知 ☁| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月17日

轢死体

田舎の道を歩いておりますと。数々の轢死体を目にします。

あまり都会の方には馴染みのない光景でしょうが。
ドライブの参考にでもなればと思い、一つしたためてみます。



うちの近くで、最もメジャーな轢死体は。


サワガニさんです。



川の近くを通る道路なんかだと、特に顕著。
1メートル歩くごとに1轢死体というテンションで、
元サワガニの、現カニチップスが現れます。

あまり交通量の多くない道(数分に1台くらいしか通らない道)なのに、
この轢死体量。サワガニの数が多いのか、それとも異様に鈍重なのか。



サワガニというと、皆さん「赤」を思い浮かべるでしょうが。
赤以外にも、いろんな色のサワガニがいるんです。
(同じ種類かどうかは知らん。興味ある人はググって)


何種類かいるんですが、赤の次に多いのは「青」のサワガニ。
青っぽいんじゃなく、青です。ブルーメタリック。
赤3:青1くらいの割合で、青サワガニがおります。


結構レアなのが、「白」のサワガニ。
光が当たらない地中でずっと生活していたのでしょうか。
それとも脱皮直後?(サワガニが脱皮するのかは知らないが)

これは、あまり見ませんね。今まで10回くらいしか見たことない。


そして、このあいだ初めて見かけたのが「黒」のサワガニ。
完全なブラック。フォースの闇に落ちてしまったサワガニです。

経験地が高そうだから、やっつけてレベルアップしようかとも
思ったのですが、戦って負けたら悲しいので、やめときました。



何の話だっけ。そう、轢死体の話。



サワガニの次に多い被害者は、カエルさん。
大きいカエルではなく、アマガエルさんですね。

大きなカエルの轢死体というのは、不思議とあまり目にしません。
なぜか小さなアマガエルばかり。

数が多いのか、アマガエルが鈍重なのか。たぶん前者が正解でしょう。
カエルの8割はアマガエルなんじゃないのかってくらい、
アマガエルばっかり目にします。うちの周りでは。

アマガエルは、個人的にサワガニよりも好きなので、
もっと交通マナーを学んでほしいと思います。



また、メジャーどころの轢死体としては、ミミズ。
普通のミミズじゃありません。

シーボルトミミズというやつ。

田舎なら、どこでもいるようですが、
地域名がかなり違うみたいですね。

青黒くて、すげー太いミミズ。田舎に住む人なら、すぐピンとくるはず。
あいつですよ、あいつ。いるでしょう?

たぶん、都会の人が見たら、マジでビビルくらいでかい。
でっかいのは20センチくらいあるかな?(もう、小ヘビ)
僕も最初に見たときは、かなりビビリました。化け物かと思った。

うちの近くでは「かんくろう」だか「たんくろう」だかと言ってます。
あいつもよく死んでますね。普通に見かけます。

ま、こいつは鈍重なだけでしょう。ミミズですから。
道を横断しようというのが、そもそも無謀な挑戦でした。



10分歩けば1匹見つける轢死体といえば、ヘビ。

特に最近は、気温が下がってきたからか、動きが鈍くなり、
車をよけきれなかったヘビさんが急増しているようです。

運転していて、唯一、避けようと思って避けられるのが、このヘビです。

サワガニやアマガエルなんか、見えませんからね。避けるのは不可能。
でもヘビは避けようと思えば、避けられます。

田舎道を走っていて「あれ、なんかあの水溜り、ゆらゆらしてる」と思ったら、
だいたい、ヘビです。あと、紐だと思うやつも、大体ヘビ。

そういうときのコツは、またぐこと。車輪の間を通すんですね。

位置にもよりますが、完全に右や左によけようとすると、
普通に交通的に危険なことがあります。

ヘビの命よりも交通法規ですから、あまり命がけで避けるべき存在では
ありませんが、できたら避けてあげたいものです。

意外と、またげるものです。



あと、最近増えてきたのが、カマキリですね。
これも大型のものが、短い命を、アスファルトの上に散らしています。

今の季節のカマキリは、産卵を終えたかなんかで、
これまた動きが鈍くなっていますからね。

かなり交通戦争(←ひさしぶりに聞いた言葉)の標的になりやすいです。





先日、近所を散歩してみたら、普段は気づかないけれど、
意外と多くの被害者がいるんだなぁ、ということを発見しました。

おそらく僕も、
数々のサワガニ・アマガエル・ミミズなどを踏み殺してきたと思うので。

反省がてら、したためてみた次第です。
(反省したところで、ヘビ以外は避けようもないんですがね)


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posted by 加藤のどか at 18:07| 高知 ☀| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

自給自足レベル

最近、我が家の自給率が上がっています。

別に自給自足を目指しているわけじゃないんですが、
普通にイモがとれれば、食べますからね。野菜があれば野菜食べるし。

そんな感じでやっていたら、自給率が高くなっていきました。



自給自足。
そういう生活が目標だという人は、多いです。
「自給自足」という、まんまのタイトルの雑誌もあるみたいですね。

でも一般的には、自給自足って、すっごく難しいといわれています。
食糧生産するだけで、1日が終わっちゃうとか。

多くの人にとっては、自給自足生活は憧れではあるけれど、
そんなに体力もないし、技術もないし、難しいだろう。

そんなふうに、感じているんじゃないでしょうか。



うーーん。。。



自分で適当に田舎生活を経験してみたところ。
あまり、難しそうじゃないんですよね。自給自足って。

果たして、本当に自給自足は難しいことなのか?

ちょっくら考えてみます。



自給自足といっても、テレビやパソコンを自給するのは不可能ですから。

食料に限らせてもらいますよ。

米・野菜・果物・小麦・大豆・魚・肉・卵・ミルクといったところでしょうか。



まず、米。こりゃ簡単。

商業的に採算をとるような米づくりは難しいでしょうけれど、
自分の家族が1年間食べる米をつくるなんて、楽勝楽勝。

僕だってできた。植えたらできた。

でも、機械は必要ですよ。全部手で植えて、全部手で刈って、
全部手で脱穀なんてしたら軽く死ねる。

いや、無理すりゃ出来るけれど、めんどくさいし、疲れる。
機械を使いましょうね。

田植機はちょっと高い(10万くらいかな)けど、
稲刈り機や脱穀機は、1万くらいで転がっていますからね。こりゃ簡単。



次、野菜。

これも簡単。誰だってできる。

できたら小型耕耘機(管理機・まぁ10万円以内)くらいは欲しいけれど、
いざとなりゃクワだけでも出来ますね、野菜なら。

もちろん、売る目的なら難しいけれど、自分で食べる分なら楽勝です。
常に10種類くらいの野菜があるなんて、別に何でもないこと。

トマトでもナスでもキャベツでもサツマイモでもジャガイモでも。
好きな野菜を作りましょう。



次、果物。

植えて、時間がかかるのが難点だけど、これもどうってことない。
果物の完全自給なんて、初歩の初歩ですね。



次、小麦。

小麦も、米の設備を代用できるので、問題なし。
製粉だけは専用の機械が必要ですが、それも、家庭用の製粉機というのが
ありますから、これを買えばできますね。

人力ならば「石臼」です。



次、魚。

山だったら川魚の養殖。海だったら自分で釣ってくる。

釣りはよくわかんないけれど、川魚の養殖は、
山の中でやっている人は結構いるし、そこまで難しいとも思えません。

だって、そんなに食べないでしょう。1日10匹も食べるわけないし。
漁業権をとって、川にワナでもしかけておいてくださいな。
うちの裏の川でも、ときどき、釣っている人がいます。
(ヤマメとかアユとかウナギが釣れるらしい)



次、卵。

鶏のエサは、その辺の野菜クズや、米や小麦で十分だし。
自家用なら数羽飼っとけばいいんですから、これも楽勝。

卵の自給も、初歩の初歩ですね。どっかからヒヨコをもらってきましょう。



次、肉。

これが難関ですよね。

鶏レベルなら問題ありませんが、豚や牛となると、ちときつい。

ま、豚はイケルでしょうね。普通に猟師さんはイノシシ捌いているし。
ただ、牛はどうだろう。牛肉の自給というのは、難しいかも。

せいぜい、豚・山羊・羊。このあたりが肉の限界サイズですかね。

豚肉の自給は、かなりハイレベルな自給です。



次、ミルク。

牛を飼ってもいいですが、めんどくさいし、
大体、飲みきれません。

ま、ミルク自体が必要だとも思えませんが、
おすすめは山羊ですね。こいつがいれば、チーズもクリームもつくれます。
ヨーグルトだってOK。

そして最後は肉を提供してくれるという、心強い家畜です。
肉食系自給自足の友ですね。



次、酒。

どぶろくは簡単みたいです。昔の農家は自分でつくっていました。
この先、焼酎などの蒸留酒となると、ちょっと設備が必要。
でも、無理じゃないです。蒸留酒も可能ですね。



次。調味料系。

あと、甘いものはミツバチに頑張ってもらうか、
暖かいところならサトウキビ、寒いとこならサトウダイコン。

これも出来ますね。

塩は難しい。海の近くにいない限り。
縄文時代も塩は物々交換していたようですし、
このくらいは妥協しましょうかね。

塩の自給も、かなりレベルが高いです。

酢は手作りできるみたい。ケッチャップ・ソースも出来る。
(ただ、ケッチャップ&ソースは、原料のスパイス類が無理か・・・)

味噌・醤油は出来ますね。つくっている人も、たくさんいます。
昔の農家も、自分でつくっていました。まさに「手前味噌」ってヤツです。





分かりやすいように、魔法に例えてみましょう。
(分かりやすいのはお前だけだろうとかいう突っ込みはナシで)





自給自足レベル1(メラ)
野菜・卵・魚(釣り)

自給自足レベル7(ギラ)
米・小麦・鶏肉・果物・茶

・・・・・・・・・・・・・・・↑今の一般的田舎民のレベル

自給自足レベル13(イオ)
味噌・醤油・酒(発酵酒)・酢

・・・・・・・・・・・・・・・↑昔の農家は、このレベルの魔法が使えた

自給自足レベル25(イオラ)
魚(養殖)・乳製品(チーズ等)・はちみつ・砂糖

自給自足レベル32(べギラゴン)
豚肉・山羊肉・羊肉・猪肉・鹿肉・塩

・・・・・・・・・・・・・・・↑現代日本最高の魔法使いは、このレベル

自給自足レベル44(パルプンテ)
砂糖(上白糖)・蒸留酒・油・牛肉・コーヒー・各種スパイス

・・・・・・・・・・・・・・・↑修行すれば、ここまでは可能かも


〜(悟りの書を手に入れる必要あり)〜


自給自足レベル82
ふかひれ・鯨肉・コカコーラ



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posted by 加藤のどか at 18:06| 高知 ☀| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月28日

田舎暮らしを体験してみる

こんなニュースがありました。
http://www.asahi.com/housing/news/TKY200809240019.html

栃木県の矢板市というところが、田舎暮らし体験のために
古民家を月5万円で貸し出したところ、申込者が殺到したという話。

ただし永遠に住み続けるわけではなく、
あくまで「体験」のためなので、期間は「1〜6ヵ月」と定められています。

「田舎暮らしといわれても 住んでみなけりゃわからない」
という要望に市が応えてくれたという、なかなかイイ話だと思います。



実際、そうなんですよね。

住んでみなけりゃ、わからない。やってみなけりゃ、わからない。



例えば、農業だって、そう。
自分に農業が向いているかどうかなんて、やってみなけりゃわかりません。

問題は、その「やってみる」期間です。


1日じゃ、わかりません。楽しいだけで時は過ぎます。
1週間でも、わかりません。これも楽しいだけで乗り切れる期間。


僕の実感から言えば。


最低でも1ヶ月。できれば半年から1年。

それくらいやって、はじめて「農業」が自分に向いているか否かが、
分かってくると思うんです。



「そんなに長く?」と思われるかもしれませんが。
例えば、スポーツを考えてみてください。



はじめて野球を体験してみて「1日」で、野球が分かるでしょうか?
「1週間」で、野球の楽しさや、つらさや、向き不向きが分かるでしょうか?

やっぱり、1年くらいは必要だと思うんですよ。



「スポーツ」も「暮らし」も、身体を使うということでは、同じこと。

身体を使うことっていうのは、どうしても慣れるまでに時間がかかります。
慣れた時点で、自分にとっての「向き・不向き」が、はじめてわかる。

だから、冒頭で取り上げたような「暮らし」の体験は、価値があると思うのです。



とはいえ。



普通の人にとっては「1年」の体験なんて、非現実的ですよね。
独力でやろうと思っても、難しい。

栃木県矢板市がやっているような、何らかの取り組みを利用しない限り、
独力で「1年間の体験」をするというのは、本格的に田舎暮らしをはじめるより、
難しいものがあると思います。


何かそういう取り組みはないものかな〜と探していたら。

こんなのもありました。
http://www.n-gec.org/g_furusato/index.html

『緑のふるさと協力隊』というもので、
田舎の地方自治体に1年間住んでみて、暮らしぶりを体験してみよう、
というプロジェクトです。

年齢は18歳〜40歳までで、今年(平成20年度)は
36名の方が、全国各地の田舎で「1年間の暮らし体験」をしています。

ま、詳しく知りたい方は、上のリンクからお進みください。

こういうサポートを利用して、田舎暮らしの第一歩を踏み出すという方法も、
あると思います。(移住してから「向いてなかった」と思うより、よほど良い)



「やってみなけりゃわからない」ことの、一番の対策は。
「とりあえずやってみること」だと思います。失敗をおそれないこと。



野球だって、空振りを気にしないでバットを振らなきゃ、うまくなりません。

頭だけで「バットを振って、かすりもしなかったらどうしよう。ボテボテの
ピッチャーゴロだったら、どうしよう。その場合は、ともかく一塁まで
一生懸命、走るしかないか。そもそも、僕は野球に向いているのか?」

なんて考えている人は、野球が下手そうですね。たぶん上手くなりません。

「とりあえず」で、ブンブン振り回す人のほうが、
うまく、そして楽しく、野球を体験できそう。


何だって、同じことだと思うんです。



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posted by 加藤のどか at 13:22| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

彼岸花

お彼岸です。

中日(なかび)は昨日でしたが、
彼岸は「中日(春分・秋分の日)+前後3日」を指すので、一応今日も彼岸です。

彼岸とは「彼方の岸」、つまり三途の川の向こう側、死者の世界を指す言葉です。



しかし、本来の意味は違ったんです。

彼岸の本来の字は「非願」。

「叶えられなかった願いが現れる時期」というのが、
「非願」の時期、つまり「彼岸」なのです。

誰の「願い」だったのか?

叶えられない願い。もう絶対に叶えることのできない願い。

つまり「死者の願いが、この世に現れる時期」というのが、
本来の「非願」、すなわち彼岸の時期、という意味だったのです。



死者の思いというのは、特定の形になって、この世に現れます。


彼岸花です。


別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ともいいますね。

曼珠沙華とは、梵語の「マン・ジュシャーガ」に由来します。

梵語というのは、古代インドで使われていた(今も使われていますが)言語。
今でいう「サンスクリット語」という言語です。

古代仏教が生まれたころの、公用語でした。

そして、梵語の「マン・ジュシャーガ」とは「魂」という意味なのです。


なぜ、彼岸花が「魂」という意味の「マン・ジュシャーガ」と名づけられたのか。

それは、死者を埋葬した後、不思議とこの花が、
墓地に咲き誇ることに由来しています。

しかも、殺されたり、若くして死んだり、長い闘病の末に亡くなったりという、
この世への「念」が強い死者の墓ほど、この花が咲き誇るのだそうです。


同じような伝承は、古代インドだけではなく、
中国内陸部や東南アジア、そして日本でも聞くことができます。


日本でも、彼岸花の本来の字は「非願花」。
この世に思い残した「念」の強さが、花となって咲くとされているのです。



日本の気候では、たまたま彼岸(秋分の日の前後)に咲くため、
「彼岸に咲くから彼岸花」と思われていますが、本来の意味は違いました。

実際、彼岸の時期に咲くとは限らない、
インドや東南アジアでは、彼岸花は「死者の魂の花」という意味なのです。

日本では「非願花」では縁起が悪いということで、
江戸時代に「非願花」から「彼岸花」へと、表記が変わっていったのです。



そして彼岸花には、共通する、重要な言い伝えというものがあります。


それは「彼岸花を折ってはいけない」ということ。


彼岸花とは、死者の魂(マン・ジュシャーガ)や念(非願)が、
形となって現れたものです。

ですから、自然に咲いて枯れれば、それで成就するのですが。

それを人の手で折ったり、切ったりしてしまうと、
そこから「死者の念」が湧き上がり、折った人に取り付いてしまうというのです。

そして、彼岸花を咲かせた死者と同じ亡くなり方をする、という伝承があります。

細かいところは違えど、インド・中国・東南アジア・日本に、
共通する「彼岸花の注意点」です。


さらに、注意しなければいけないのは。


墓地に咲く彼岸花よりも、野に咲く彼岸花のほうが危険だということです。

彼岸花というのは、同じ場所に何年も咲き続けます。

「死者の念」が成就したら自然と枯れる、とされているのですが、
中には何百年も同じ株が咲き続ける彼岸花もあります。

そういう花は、墓地が形をなくし、野原となった後でも、
その場で咲き続けています。

何百年、何千年と一箇所に咲き続ける花ですから、
野原の彼岸花ほど、念が強いから、絶対に折ってはいけないと言われているのです。



ですから、田舎ではこの時期に草刈りをすることは、絶対にありません。

間違って切ってしまうと、いけないですから。

彼岸花が咲く前の、9月上旬あたりに一斉に草刈りをしてしまうのです。
「花が咲く前」の茎ならば、刈り取ってもいいそうです。



道端の彼岸花がきれいだなと思っても、折ったりしてはいけないのです。

特に、何もない野原に咲く彼岸花ほど、注意が必要になるのです。

折ってしまうと、何百年も前の「死者の念」が、
乗り移ってしまう、とされているからです。



皆さん。

綺麗だからと彼岸花をうっかり折ってしまった思い出、ありませんか?








































































































(゜▽ ゜)なんちゃって♪


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posted by 加藤のどか at 13:20| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月19日

おらこんな村やだ

だんだん田舎の暮らしに慣れるにつれ、感じてきたことなんですが。

田舎出身の人は、吉幾三じゃないですが、
「おらこんな村やだ」ってことで、都会に飛び出していきますよね。

あの気持ちが、分かってきました。



都会に住んでいたころは
「田舎が嫌だから都会に出てきた」と言われても、理解できなかったんです。

田舎に住んだことが無いですから。

「何もない」などと言われても、実感できない。
こちとら、生まれてこのかた東京にしか住んだことのない男でしたから。



都会に憧れるといわれても、一体何が面白いんだろう、と。
家賃だって高いし、お台場や原宿なんて特別楽しいところじゃないし。

「どうしても都会に住みたいんだッ!」という
田舎出身者の気持ちが分からなかったんです。




それが、田舎暮らしをはじめて2年くらいたち、
だんだんと、その生活が「普通」になってきだした今日このごろ。

実感として、腑に落ちてきたんですね。




田舎の、変化の少ない生活。
周りの顔は、見知った顔ばかり。
たぶん10年後、20年後も、同じ町並みと生活がある。




そういう田舎の空気が、やっと肌で感じられました。

だからといって、僕は都会にまた住みたいとは、思わないんですね。
それは、都会の暮らしを十分、知っているからです。

でも、田舎で生まれ育った人が、都会に憧れる気持ちというのは、
とてもよく分かります。



というか、もし僕がこの土地(高知県山間部)で生まれ育っていたら、
絶対に高校卒業した時点で、東京に出て行ったと思います。



なんだか、ひねくれた話です。



僕は、田舎の生活が新鮮ですから、
田舎の人にとっては「変わらない」生活であっても、
いろいろと面白いことがあるんです。

例えば。春になって山菜が顔を出し、田植えをし、秋になったら収穫する。

田舎出身の人にとっては、面白くもなんともない、
毎年のルーティーンだと感じる出来事かもしれませんが、
都会出身の僕の目から見れば、それだけでも面白いんですよね。
(10年後には飽きているかもしれないが)



同じように、僕にとっては面白くも何ともない、
原宿やお台場の街並みであっても、それを新鮮だと感じる人はいるわけですし、
田舎出身の人にとっては、毎日新たな発見があるのかもしれません。



変化が無い、刺激が無いというのは、
環境のせいではなくて、自分の感受性のせいなんですかね。



思えば、僕はずっと東京にいながら、一度もハトバスに乗ったこともないし、
知らないことなんてたくさんあるはずなんです。

知りつくしたと思える故郷でも、よそから訪れた人には、新鮮な町。

旅行者の目線で、自分の住んでいる町をながめてみたら、
何か新たな発見があるやもしれませんね。



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2008年09月16日

オオカミ

サルやイノシシやシカが、人里に出てきて、
畑やゴミ捨て場を荒らしてしまい、困っている。



なんてぇ話は、よく耳にします。



その対策として、動物が入ってこないように、
電気柵(触るとビリビリする)を設置したり、空気銃で脅したりするなど、
地元の人は頭をひねっています。



そういう鳥獣対策を見ていて、不思議に思うことがあります。



電気柵にしても。空気銃にしても。
ほとんどは「脅し」であり、動物を殺すわけではないんですよね。

まるで、動物を殺してはいけないという不文律でもあるかのように、
温厚な対応をしているんです。



なぜ、動物を殺してはいけないのでしょうか。



この問いに対するお決まりの反応としては、
環境主義者というべき方々の、こんな反応があります。

(゜△ ゜)大体、動物ちゃんたちが町に出てきちゃうのは、
      人間が環境を破壊したからなのよ!!!
      それを、増えたから勝手に殺すだなんて、命をなんだと
      思っているの! 信じられない!!
      殺すという対策をとる前に、人間と動物が共存できるような
      対策を考えるべきじゃないの!!! むきぃ!

たぶん、鳥獣対策に関わっている多くの自治体は、
こういう反応が怖いがために「殺す」という選択肢をとらず、
穏やかな鳥獣対策にとどめているのだと思います。



たしかに、動物が人里に出てくるようになったのは、
人間の活動の結果です。それは間違いありません。

なぜサルやイノシシやシカが、これほど増えたのか。

一つには、天敵がいなくなったということが挙げられます。

彼らの天敵。オオカミですね。



昔の日本にはオオカミがいました。

オオカミは、畑を荒らすイノシシやシカを食べてくれるので、
人間にとっては有益な動物。まさに神、「大神」だったのですね。

しかし、森林を開発し、人里を広げていった結果、
日本のオオカミは絶滅してしまいました。(たぶん)

結果、サルやイノシシやシカが増えたのですね。



増えた彼らの食物が無いのも、人間が原因。

食物豊富な広葉樹林から、材木をとるための針葉樹林へと、
山を変えてしまったことが大きな原因です。
(針葉樹は、ドングリの実をつけない)

山に食べ物がなくなってしまったので、
飢えた彼らは、おびえつつ人里に出てくるわけですね。



こういう事態に対して、
やってくる動物を脅して、人里に出てこないようにするというのは、
あまりにもお役所的なな、その場限りの対応。

脅したって、山に食べ物がないんですから、
また出てくるに決まっているんですよ。



つまり、対応は2通りしかない。
山から動物が出てこないようにするためには。



・山に食べ物(広葉樹)を増やすか
・動物を減らす(殺す)か



どっちかしか、ないんですよ。

人間の活動によって生態系を破壊してしまったのですから、
一つの動物だけを考えるのではなく、「生態系」を考えないといけないんです。

微生物、昆虫、小動物、鳥類、哺乳類、植物とリンクする生態系全体で
考えたときに、一つだけ爆発的に増えたサルやイノシシやシカというのは、
害をもたらす存在ではないでしょうか。バランスが崩れているんですから。

本来だったら、バランスをとるための「オオカミ」がいなくなったから、
何十年のうちに、オオカミの餌であった動物が増えてしまった。



だったら、オオカミの代役を人間が果たすのは、
当然の責任ではないでしょうか?



それを、殺さずに、ぬるい対応をしてしまう。
絶滅させたオオカミに対しても、会わせる顔がありません。人間として。



追い払った動物が、またやってくる。
  ↓
人間がおいはらう。
  ↓
今度はワナをしかける。
  ↓
つかまえた動物を、山奥へと放してやる。
  ↓
またやってくる。
  ↓
空気銃で追い払う。
  ↓
山に戻っても食べ物がないから、またやってくる。
  ↓
電気柵を設置する。
  ↓
最初に戻る。



これを公務員がやるんですから。税金の無駄遣いでもあります。



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ラベル:動物
posted by 加藤のどか at 13:13| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月14日

招かざる客

とある日のこと。



雨模様の天気が続いた後、久々の秋晴れとなったので、
こりゃ布団でも干そうかと思い、庭に出たんです。

物干しに布団を並べ、ふかふかになるといいね♪
なんて主夫気分を味わっていたそのとき。





シュン!





何かが、顔の横を通り抜けました。

と、同時に、家の中から

ビチビチビチビチビチビチビチビチビチ!!!という羽音。

緑色の複眼に、黄色と黒のタイガースカラーのボディーを揺るがす、あいつは。




オニヤンマ!

トンボの王様、オニヤンマ(家の中に)!




網戸が開いた隙をついて、家の中に突撃してきたようです。



・・・どうしよう。



オニヤンマ。



見たことある人は分かってくれると思いますが。

デカイんですよぉ。デカイ。

普通のトンボの5倍くらいあるんじゃねぇか?ってくらいデカイ。

手のひらぐらいあるんじゃないでしょうか。マジで。

そんな巨大トンボが、家の中を飛び回っています。





ところで皆さん。

夕日がなぜ大きく見えるか、知っていますか?

昼間、天頂にある太陽よりも、夕日のほうが大きく見える理由。
それは、近くに比べるものがあるからなんです。


天頂にある真昼の太陽は、何もない大空に浮かんでおり、
周りに比較対象となるものがありません。

対して夕日は、ビルや家々に囲まれているので、
その大きさを比較し、実感することができます。

実際の大きさは、真昼の太陽も夕日も変わりませんが、
周りに「もの」があることによって、夕日は大きく見えるんですね。






同じことが、家の中のオニヤンマについても、当てはまるのです。



空を飛ぶオニヤンマよりも。

木の枝に止まるオニヤンマよりも。

パソコンの上に止まるオニヤンマの、どれだけデカイことか!!!



我が物顔で、キーボード上に鎮座するオニヤンマ様。



どうにかしないといけません。

家の中でオニヤンマを飼いつづけるほど、僕は虫好きではないのです。



他の部屋に行かれるとまずいので、パソコン部屋にとじこめ、
虫取り網を持ち出し、いざ対決!
(田舎の生活で、虫取り網は必須。家の中で使うために。)





キケンを察知したオニヤンマは、素早いです。

聞くところによると、オニヤンマの飛行速度は時速40キロ。

北京五輪で100メートルの新記録を出した、ウサイン・ボルトに匹敵します。



四畳半で、時速40キロのオニヤンマとの鬼ごっこ。
なかなか出来ない体験です(したくもない)。



しかし、いくら時速40キロとはいえ、
四畳半に閉じ込めてしまえば、こちらのもの。地の利があります。

大地ではあいつに軍配が上がるでしょうが、
四畳半ではこちらのほうが、はるかに有利。

まな板の上の鯉。否、四畳半のオニヤンマ。



奴に、ふすまを開ける力はありません。所詮昆虫。

虫取り網をかまえる僕の殺気を感知したのか、
パソコンから、蛍光灯へ、本棚へと、飛び回るオニヤンマ。

いくら逃げ回ったところで、逃げ道がないことに変わりはありません。

カーテンに止まったところを、アタック!ゲット!捕獲した!





ビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチビチ!!!!!
いやぁぁぁぁ!網の中で暴れないでぇぇぇぇぇぇ!!!(゜△ ゜)





慌てて窓から虫取り網を出すと、
「ふむ、それでよいのだ」といわんばかりの落ち着きぶりで、
オニヤンマは秋の空へと旅立ってゆきました。何様だ、あいつは。




さて。




そんな事件があった翌日。

また布団を干そうとすると、網戸の外から、
オニヤンマ(たぶん同一人物)が、ホバリングしながらこちらを見ています。

家の中に入りたそうに、緑色の複眼で僕の目を見てきます。

なんだか、気に入られたようです。



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posted by 加藤のどか at 13:10| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月05日

針葉樹

僕の住む高知県は、日本一「森林」の面積割合が多い県だそうです。

実に84%が、森林で占められていると聞きます。


ましてや、僕の住むのは山間部。

ご多分に漏れず、周りは山々山山々・・・。森林に囲まれているワケです。



でわ。



その森林に生えている木は、何でしょうか?

ブナ?クヌギ?サクラ?

否、んなもなぁほとんど生えておりません。

森林を構成しているのは、スギ・ヒノキです。
(ちなみに、僕はスギとヒノキを見分けられません。超似ているから)




いわゆる針葉樹林。
戦後に、先達が一生懸命、植林した結果です。


この針葉樹林。
植えたはいいのですが、いたるところで問題を起こしています。

ちょいと取り上げてみましょうか。



まずは身近なところから。言わずもがなの花粉症です。

毎年、春になればスギやヒノキの花粉が、都会まで飛んでゆきますね。

現在は、日本国内で1500万人もの人がスギ花粉症だとか。
もう、国民病といっていいくらいの勢いです。

都会の方が針葉樹林から受ける、数少ない影響じゃないでしょうか。



ほかには、どんなものがあるか。



針葉樹は、広葉樹と違って「ドングリ」をつけません。
直接的に困るのは、イノシシやシカやサルやタヌキなどの動物たちです。

おなかがすきます。ぺこぺこです。

だから、人家に近い畑まで出てきて、野菜なんかを食べるんですね。

彼らだって、山の中にドングリが落ちていたら、そのほうがいいんです。
わざわざキケンな人里にまで、出てきたくはないでしょう。

動物も困りますが、畑を荒らされる人間側も、いい迷惑です。



まだあります。



針葉樹っていうのは、広葉樹に比べて根の張りが悪いのです。

根の張りが悪いということは、つまり、水持ちが悪い。

雨が降っても、山が水をためておくことができず、
すぐに流れてしまうんですね。

広葉樹の山は「スポンジ」、針葉樹の山は「コンクリートブロック」と
思っていただければ、分かりやすいと思います。

すると。

水道がなく、山の湧き水に頼っていた集落は、
生活用水に困り、滅びることになります。

湧き水が、安定して出てくるということが、なくなってしまうんですね。

うちの近くでも、山の水が無くなったから家を捨てたという人を、
何人もみかけます。



まだまだあります。



針葉樹と広葉樹の違い。それは、落ち葉を落とさないということ。

針葉樹は1年中、緑。対して広葉樹は、冬には葉を落とします。

これが、どういう違いがあるか。

葉を落とし、それが山に積もれば、腐葉土ができます。
栄養に富んだ土壌ができるんですね。

そこに雨が降る。

すると、栄養分をたくわえた水が、川を流れ、海まで注いでいきます。

落ち葉が、川の魚を育て、海の魚や貝も育てる。

逆に言えば、落ち葉がなくなったことで、
川や海が貧しい環境になってしまったんですね。

沿岸域で、昔ほど魚が採れなくなった一因は、
針葉樹林にもあるのです。





いろいろな弊害を生み出してしまった、針葉樹林。
その針葉樹の価格は、一体、いくらぐらいするのでしょうか。





今、木材価格は、スギの丸太が1本で大体、1500円だそうです。
そのうち、輸送費や人件費(山から伐り出す費用)が1200円。

山の持ち主に入るお金は、スギの木1本で、300円だそうです。



伐り出されるスギの樹齢は、大体30年。

30年育てて、300円。

1年育てて、10円。

こんなものです。



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posted by 加藤のどか at 13:05| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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