2009年05月17日

カエルの噺

かえる.jpg

 
 
 水溜りに取り残されたオタマジャクシを見ると、嫌な気持ちになってしまう。
 
 
 田んぼというのは、水を張っている時期もあれば、水を抜く時期もある。
 
 苗床(稲の苗を育てる田んぼ)を例に挙げれば、
 苗を生育させる段階(種から苗への成長)では水を溜めているけれども、
 田植えのために苗を取り出す作業のときには、水を抜いてしまう。
 
 そのとき、哀れなオタマジャクシたちは、水溜りに取り残されてしまう。
 
 
 苗床に水があった1ヶ月ほどの間に、どこぞの無責任な親蛙が、
 田んぼに卵を産み付けてしまったのだろう。
 
 
 田んぼから水を抜くと、地上では生きられないオタマジャクシたちは、
 水溜りに監禁されてしまう。
 
 上空から照らされる直射日光により、水溜りはすぐに湯溜りとなる。
 そして、ほんの数時間で蒸発し、ただの土に戻ってしまう。
 
 直径1メートルほどの小さな水溜りに、
 100匹近くものオタマジャクシが取り残され、
 数時間後には文字通り、土に還ってしまうのだ。

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 苗床では、農薬にやられたカエルの死骸も、時折目にする。
 
 普通の米づくりでは、田植え前に、苗の農薬散布をするのだけれども。
 
 農薬散布をすると、虫が死ぬのは当然ながら、
 小さなカエルなんかも死んでしまう。
 
 苗の横で、体長3センチほどの小さなカエルが、
 今、飛び立とうとする姿勢のまま、ミイラになっているのを、時折目にする。
 
 可哀想だとは思うものの、このミイラカエルに関しては、
 オタマジャクシに対して抱くような気持ちは、湧いてこない。
 
 おそらく、薬剤にやられたカエルというのは、
 「完全に生きている」か「完全に死んでいる」かの、どちらかだから。
 
 
 水溜りのオタマジャクシは、僕が本気を出せば、助けられる命。
 
 どこからかコップを持ってきて、オタマジャクシを入れて、
 近くの池にでも放せば、オタマジャクシは無事、カエルになるはず。
 
 そういう可能性があるからこそ、水溜りのオタマジャクシは、
 僕に選択肢を投げ出しているかのようで、なんだか嫌な気持ちになる。
 
 
 農薬によって死んだカエルは、完全に死んでいるから、どうしようもない。
 
 そして、死んでいないカエルに対しては、
 「お前が逃げれば済む話だ」と、責任転嫁をしてしまえる。
 
 だから、オタマジャクシに比べたら、気分が幾らかは軽くなる。
 
 
 
 
 
 カエルの話を書いていたら、ふと思い出したことがある。
 
 東京の実家の庭には、一匹の、大きなガマガエルが住んでいた。
 
 周りに緑のない住宅地で、なぜガマガエルがいたのかは不思議だけれども、
 僕が小学生のころから、大学生になるまでの、10年近く、
 実家の庭に「主(ぬし)」として君臨していた。
 
 
 最後にガマガエルを見たのは、実家を建て替える直前。
 
 築数十年を経て、いいかげん老朽化した実家は、
 僕が大学生のときに建て替えられた。
 
 庭のガマガエルにも、一応、逃げるようにと忠告しておいたのだけれども。
 ともあれそれ以来、彼の姿は見ない。
 
 東京にいたころは、カエルといえば、庭のガマガエルのことだった。
 
 田舎に住んでからは、アマガエルやトノサマガエルは見るものの、
 ガマガエルを見かけたことは、一度もない。
 
 
 
 
 
 カエルという動物は、他の動物よりも、人間に親近感を抱かせる。
 
 「ど根性ガエル」や、「ケロロ軍曹」のように、
 カエルを擬人化した作品も、日本にはいろいろとある。
 
 思えば、漫画の元祖である「鳥獣戯画」では、
 サルやウサギに混じって、カエルも擬人化されていた。
 
 
 哺乳類の中に混じっての、大出世である。
 
 哺乳類以外で、ここまで擬人化されている生き物は、
 カエルの他には思いつかない。
 
 
 
 
 
 昔は、理科の実験でカエルの解剖をやっていた。
 
 解剖実験にカエルを使う理由は、カエルの内臓の位置が、
 人間のそれと、とてもよく似ているからだという。
 
 中身からして人間に似ているのだから、
 カエルがよく擬人化されるのも、なんとなく納得のいく話ではある。
 
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posted by 加藤のどか at 11:45| 高知 ☔| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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