2009年05月03日

棚田保全

棚田.jpg

 
 棚田というものは、つくづく不便なものだと思います。
 
 
 平地の田んぼに比べたら、日当たりも悪い。面積も狭い。
 大きな機械は使えないところもあるから、効率が悪い。
 
 おまけに斜面だけは、やたらとあるから、草刈の手間ばかりがかかる。
 特別美味しい米ができる地域ならまだいいけれど、そうじゃない棚田も多い。

 
 経済性の面からいえば、棚田なんて無いほうが良いんです。
 

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 では、洪水保全や水田生物といった環境面からは、どうでしょうか。
 
 僕はこの面でも、棚田が大して役に立っているとは思えないんです。
 
 
 
 耕作放棄された棚田には、ドングリでも植えて、
 雑木林として森に戻したほうが、環境のためには良いでしょう。
 
 雑木林(広葉樹林)だったら保水性も良いし、
 動物の棲家としても役立ちます。
 
 農薬や除草剤を使う稲作をしているよりは、
 環境のためには、よっぽど良いんじゃないでしょうか。
 
 
 
 経済と環境というのは、大半のことにおいては反発するものですが、
 こと「棚田」に関しては、どちらの観点から見ても
 「無いほうが良い」という結論になると思います。
 
 財務省とグリーンピースの両方を敵に回す数少ない案件の一つが「棚田」です。
 
 
 
 実際、棚田の数はどんどん減っています。
 
 面積の小さな、作業しにくい変な形の棚田は、どんどん耕作放棄されています。
 
 飢えと背中合わせだった300年前ならいざ知らず。
 
 この飽食の日本で棚田が放棄されたところで、
 我々の胃袋は痛くも痒くもありません。
 
 棚田が減っていくのは、当然のことだと思います。
 
 
 
 さて。
 
 僕の個人的な好みとしては、棚田を守っていきたいと思っています。
 
 
 
 経済的にも環境的にもマイナスだとは思いますが、
 棚田の稲作をやっていきたいと思うんですよね。
 
 なぜなら、昔の人が棚田を作るのって、すっげー大変だったと思うから。
 それを山に戻しちゃうのが、なんかもったいない気がするからです。
 
 
 
 棚田って、当たり前のことですが、人間がつくったものなんですよ。
 いつか誰かが、山を切り開いて田んぼを作ったんです。
 
 詳しくは知りませんよ。僕、棚田なんて作ったことないし。
 棚田で米は作ったことあるけれど、棚田をつくったことは無いですから。
 
 でも「棚田づくり」を想像してみると、もうね、
 想像するのが嫌になるほど大変な作業が浮かび上がってきます。
 
 
 
 山の木を切り倒して、水平な土地をつくる。
 ただ「平ら」じゃだめですからね。水が漏れないような「水平な土地」。
 
 棚田の周りを石垣で囲んだりして、山奥の沢から水を引いてくる。
 日当たりが少しでも良くなるように周りの木も伐採する。
 
 棚田が山奥にあるのならば、そこまでの道も作る。
 場合によっては、何キロもの水路をつくって水を確保する。
 
 そんなことを全部人力でやったわけでしょう。
 棚田をつくった、何百年か前の人たちは。
 
 
 
 もうね、めちゃめちゃ大変ですよ。ピラミッド建設レベル。
 
 いや、ピラミッドなんてすご過ぎて大変さが実感できないんですけれど、
 棚田づくりの大変さって、適度の実感できるくらいの大変さなんですよ。
 
 農閑期の冬場に、それこそ親戚縁者総出の勢いで作ったんだろうな、と。
 
 土とか石とか担いで、肩とか腰を痛めながら作ったんだろうな、と。
 
 山の中の棚田を見ると、そういうことを想像してしまうわけです。
 
 
 
 僕の「棚田を守りたい」という感情に最も近いのは、
 おそらく、田舎のお年寄りが発するこのような台詞。
 
 
 「わしの代で田ぁ手放したら、ご先祖様に申し訳ねぇ」というやつ。
 
 
 僕はIターン者ですから、直接のご先祖様が棚田を作ったわけでは
 ないんですけれど、感覚的には、この台詞が最も近いですね。
 
 何百年と続いてきたであろう棚田を、
 今、このときに、山に戻してしまってもいいのだろうか、という気持ち。
 
 ただの「情」です。経済も環境も無視した、ただの情の話。
 
 もっと直接的にいえば「もったいない」と思う。
 せっかく作った田んぼなのに、もったいない。山に戻すのは、もったいない。
 
 
 
 棚田保全に、それ以上の理由なんて無いと思います。
 
 「もったいない」という感情においてしか、棚田保全の理由は、ありません。
 
 
 
 棚田米がうまいとか、観光資源になるとか、水田の生き物が生きる場が、
 とかいっても、それはすべての棚田に当てはまるわけではないんです。
 
 そういう条件があるのは、一部の棚田だけ。
 
 たしかに、経済面や環境面からいって保全の必要がある棚田もありますが、
 それはごく一部の棚田なんです。
 
 ほとんどの棚田は、ほんとうに必要のない棚田なんです。
 
 
 
 最後の砦は「情」。
 
 棚田をつくったご先祖様に対する、いろんな「情」。
 
 この山奥の棚田をつくった、見も知らぬ誰かへの「情」でしか、ありません。
 
 
 
 
 「袖ふれあうも他生の縁」と申します。
 
 現世において何らかの関わりがある人とは、
 前世や来世といった「他生」において、
 深く深く関わっていた人かもしれない、という意味です。
 
 
 
 ひょっとしたら、高知の山奥の棚田をつくった何百年か前のオッサンは、
 僕が前世のイギリス貴族だった時代に
 ひそかに片思いをしていたパン屋の娘キャサリンの転生した姿かもしれない。
 
 そう思ったら、キャサリンの努力を無駄にできないじゃないですか。
 
 あの細腕のキャサリンが(転生した高知のオッサンが)頑張ってつくった
 田んぼなら、いっちょ守ってやろうかっていうのが、
 女王陛下に仕えるイギリス貴族の心意気というものです。
 
 
 
 僕も現代日本に転生してそろそろ30年。
 
 前世のイギリス貴族時代の記憶も、かなり薄れてきているのですが。
 
 そんなこんなで、棚田を守りたいなと思うのでした(キャサリンのために)。
 
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posted by 加藤のどか at 11:45| 高知 ☁| 農業のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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