2009年05月02日

憲法九条を世界遺産に

憲法九条.jpg


 毎週土曜日は、各種おすすめ本を紹介する書評の日。
 
 きょうご紹介するのは、
 太田光・中沢新一の対談集『憲法九条を世界遺産に』です。

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―――日本国憲法第九条―――
 
 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
   国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
   国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
   
 2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
   国の交戦権は、これを認めない。
 
 
 
 おそらく日本で一番有名な法律である、憲法第九条。
 
 この法律について、僕が今まで抱いていた感想といえば
 「どっちでもいいから、現状と矛盾が無いようにしようよ」
 というだけのもの。
 
 
 法律と現状の矛盾があったら、まずいんじゃないか、と。
 
 軍隊が必要ならば法律を変えればいいと思うし、
 法律を変えたくないなら軍隊は持つべきじゃない。
 
 という単純な考えしか持っていませんでした。
 
 そんな「憲法九条」について、新しい視点を得させてくれたのが、
 本日紹介する『憲法九条を世界遺産に』です。
 
 
 
 爆笑問題の太田光さんと、中沢新一さんとの対談集なのですが、
 この対談の一番のポイントは「憲法九条は珍品である」ということ。
 
 たしかに、あたらめて考えてみれば、こんな変な法律はありません。
 
 
 国が自ら「軍隊を持たない」と宣言しているんですよ。


 現実には、日本に軍隊(自衛隊)があるとはいえ、
 国の根幹たる憲法においては、はっきりと「軍隊は持たない」と書いてある。
 
 上に書いた憲法九条の文章を読めば、中学生でも分かります。
 あいまいな表現ではなく、はっきりと書いてある。
 
 「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」
 
 つまり、「軍隊は持たない」と。
 
 
 
 これが、人口数千人の南の島の小国だとか、
 大国に囲まれたスイスのような山岳国が言うんだったら、話は分かります。
 
 だって、戦いようがないじゃないですか。そんな国は。
 
 戦ったところで勝てない。だったら、最初から「戦いませんよ」と言う。
 それは現実的な「利」にかなった戦略の一つです。
 
 
 でも、日本の場合は別。
 
 
 経済力は世界トップレベル、人口も1億人以上という、
 自他ともに認めるであろう「世界の大国」ですよ。
 
 他国と張り合えるほどの戦力を持とうと思えば、持てるんです。
 核兵器だって、作ろうと思えば作れるでしょう。
 
 それくらいの力を持っている国ですよ。日本は。
 
 そんな大国が「軍隊を持たない」と法律に書いちゃっている。
 
 
 
 改憲を主張する理由の一つとして、よく聞かれるのが
 
 「日本国憲法はアメリカに押し付けられたものだから、
  日本人があらためて、自分の手で考えなおそう」
 
 というもの。
 
 たしかに、アメリカに押し付けられなかったら、
 こんな法律は生まれていないはず。
 
 日本人が自分の手で法律を作ったのであれば
 憲法九条は生まれなかったと思います。
 
 
 どこのバカが自ら軍隊を放棄するなんて言いますか?
 
 
 武力というのは、国の最も基本的な力の一つですよ。
 武力の均衡によってこそ平和が保たれる。それは常識。
 
 世界の大国が巨大な軍隊を保持している中で、
 どこのバカが自ら「軍隊を放棄する」なんて言いますか?
 
 自分の手で法律を作ったのであれば、
 憲法九条は絶対に生まれなかったと思います。
 
 
 
 日本という大国が憲法九条のような「変な法律」を掲げているのは、
 偶然に偶然が重なった、奇蹟のような事態なのです。
 
 
 憲法九条は、
 日本に武力を持たせたくないというアメリカの現実的な戦略と、
 何百万人の国民が命を落としたという悲惨な経験を経た日本の感情と、
 その上に、アメリカ特有の無邪気で純粋な理想主義とが重なって、
 あの時代の、あの場所でしか生まれなかったであろう、
 「とても変な法律」です。
 
 
 その後、数十年かけて日本は経済大国になり、
 憲法九条の拡大解釈といいながら自衛隊を持ち、
 その結果として「戦争放棄を憲法でうたった大国」が生まれた。
 
 すごく変なことです。
 
 普通に考えれば、そんな国があるはずがない。
 常識外。現実に即さない、理想を語った法律なんですよ。憲法九条は。
 
 変なことだからこそ、それを変えて「普通の国」になろうというのではなく、
 その奇蹟のような「憲法九条」を守っていこうじゃないか。
 
 それが、本書『憲法九条を世界遺産に』の主張。
 
 いろいろな偶然が重なって生まれた奇蹟のような存在なのだから、
 「憲法九条を世界遺産に」という主張になるのです。
 
 
 
 太田氏と中沢氏は
 「憲法九条は、日本にたった一つ残された夢であり、理想」
 だと語ります。
 
 オーストラリアのアボリジニには
 「ドリームタイム」と呼ばれる場所があるそうです。
 
 そこは、アボリジニの人たちが、自分たちの根源としている場所。
 
 そこにはめったなことでは辿りつけないし、現実には踏めこめない場所。
 でも、そういう場所があることを知って、そこに心を向けることで、
 世界は正しい方向に向かっている。そういう場所なのだそうです。
 
 
 そして、憲法九条というのは、
 日本人にとってのドリームタイムなのではないか、と語ります。
 
 現実的に考えれば存在しない法律。現状とも矛盾している法律。
 
 でも、そういうものを持つことにより、そこへ思考を向けるということは、
 人間にとってすごく大切なのではないか。
 
 そう、太田氏と中沢氏は主張します。
 
 
 
 僕も『憲法九条を世界遺産に』を読んでみて、
 なるほど、現実と矛盾した法律があることも、
 そう悪いことではないのではないか、と思い始めました。
 
 憲法九条って、法律じゃないんですよ。
 だって、現実に守れていないんですから。
 
 「聖域」でもいいんじゃないか。そう思います。
 
 
 現実に生きていくためには、
 理想と違うことを、せざるを得ないこともある。
 
 個人は、個人の良心からは反した行動をしなきゃいけないときもある。
 
 現実の自分と、理想の自分が食い違うことは、当然です。
 普通の人間は、現実と理想とが乖離しています。
 
 そして、そういう国がひとつくらい、あってもいいんじゃないか。
 
 現実と乖離した、夢想を語る法律を一つくらい、
 頑固に守り通してもいいんじゃないか。そう思います。
 
 憲法九条に後ろめたさを感じながら、自衛隊は存在し続ける。
 憲法九条は変えない。そして、軍隊も持ち続けている。
 
 そんな「変な大国」があったほうが、
 世界は少しだけ良くなっていくのではないか。
 
 
 
 おそらく憲法九条を改正してしまったら、
 二度と同じような法律は生まれないと思います。
 
 世界のどこでも、生まれないと思います。
 
 大きな戦争の後に、いろいろな思惑と偶然が重なって生まれた
 非現実的な、理想を語った、夢見がちな法律だからこそ。
 
 世界遺産にも匹敵するものなんじゃないか。僕は、そう感じました。
 


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posted by 加藤のどか at 11:45| 高知 ☁| 書評 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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