2009年04月30日

草の実を食べる生き物

インディカ米.jpg

 
 【前回までのあらすじ】
 
 去年の秋の稲作日記も、とりあえずの最終回。
 まだ紅朱雀は食べてないけど、とりあえずの最終回。
 4月も終わりで切りも良いから、とりあえずの最終回です。
 
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続きを読む前に

 
 ダラダラ書いてきた「二度目の稲作・後半」も、
 ここらでひとつ、まとめておきましょうかね。
 
 最後もダラダラと、キーボードの進むままに感想を書いてみようと思います。
 
 
 
 まず、これは「はじめての稲作」のときにも感じたことだけれど、
 自分で食べるものを、自分でつくるというのは、面白い。とても面白い。
 
 別に自給自足生活を勧めるつもりは、ありません。
 ライフスタイルだとかのレベルじゃなくて「趣味」として勧めたいです。
 
 サーフィンが面白いとか、スキューバーダイビングが面白いとか、
 それと同じレベルで「食べ物をつくるのは、面白い」と思う。
 
 
 
 そして、野菜と比べても「米」というのは、何か特別に感じるものがある。
 
 いろんな種類の野菜を作ったことはあるし、
 それもそれでなかなか面白かったのだけれども、
 「米」となると、別格の感情があるんです。
 
 ご先祖様が1000年以上は作ってきて、
 最も大切な作物だったんですからね。
 
 そして、野菜は大抵が「野菜」だけの収穫を目的としているけれど、
 米は米に付随したいろいろなものが、生み出されます。
 
 
 
 米から作られるのは「ごはん」だけじゃなくて、「藁」だってとれる。
 
 藁からは、ワラジやミノがつくられる。
 ヌカはヌカミソになるし、田んぼの土は焼き物にもなるらしいし。
 (備前焼の土は、田んぼの底の泥を使うらしい)
 
 田んぼには水が必要だけれど、それには水路が必要。
 棚田には細かく張り巡らされた水路があり、水の権利なんてのもある。
 そういう田舎社会の決まり事とも、稲作は結びついている。
 
 米づくりは、ただ「主食をつくる」というだけじゃなくて、
 マジで日本文化ってのと密接すぎるほどに
 繋がっているんだなと感じます。
 
 そういうのを、ひっくるめて体験することも出来るから、
 野菜づくりよりも、僕は稲作のほうが面白いと思うんです。
 
 (余談ですけれど、日本史や国文学を研究する人だったら、
  一度でいいから「稲作」やったほうがいいと思う)
 
 
 
 面積は一昨年の「5アール」から「50アール」と
 十倍になったわけだけれども、僕がやる面積としては、
 このくらいが限界ですかね。
 
 昔のお百姓さんは「五反百姓」なんて呼ばれていたそうだけれども、
 機械無しで5反(50アール)というのは、大変な労力を必要とします。
 
 僕は機械を使ったけれども、50アールを手でやれといわれたら、無理。
 
 たぶん、家族でやるにしたら、5反が限界だったんでしょうね。
 だから「五反百姓」だったんだと思います。
 
 
 
 それが今は、その10倍(5ヘクタール)でも、
 稲作だけだったら経営が成り立たないと思います。
 
 当然、その面積だったら機械がなきゃ、やっていけません。
 除草剤だって、農薬だって、絶対に必要だと思う。化学肥料も当然必要。
 
 『沈黙の春』を読んで「農薬良くない! 除草剤良くない!」と
 言うのは簡単だけれども、僕はどちらも必要だと思う。
 
 交通事故者がいるからといって自動車全面禁止にはならないように、
 万一、農薬や除草剤の害があったとしても、それはしょうがないことだと思う。
 
 少なくとも現代では、農薬や除草剤に殺される人数は、
 自動車に殺される人数よりも、はるかに少ないのだから。
 
 
 
 今回、コンバインだとか乾燥機を使った「普通の稲作」を体験してみて、
 米はもう完全に、経済に組み込まれた一つの商品になっているなと
 実感しました。頭では分かっていたことを、やってみて実感できた。
 
 その流れ、その輪から抜け出すことは困難なことだし、
 農業で稼ぐんだったら、この流れに身を任せるのが
 最も良い方法なのだろうな、ということも感じました。
 
 
 
 手で植えて、手で刈れる程度の小さな田んぼで米を作るのならば、
 春夏秋冬、晴れと雨、太陽と月、そういう流れの中に
 身を任せて米を作ることも出来るのでしょうけれども。
 
 農業経営が成り立つ程度の広大な面積で稲作をするのであれば、
 経済の大きな流れの中に身を任せるしかない。
 
 小さな田んぼのように、自然の流れに合わせては、稲作は出来ない。
 
 
 どちらにしても「個人」が関われることは、すごく少ない。
 
 どっちの大きな流れに身を任せるのか、ということ。
 
 
 
 話はぶっとびますけれど、米を作っていると、
 米は「草の実」なんだなという気持ちが出てきます。
 
 それを踏まえていろんなことを見てみると、すごく面白い。
 
 
 人間は、草の実を食べて生きる生き物。
 
 草を育てて、草の実を収穫する仕事が、稲作。
 
 高級レストランで出てくるのも「草の実」。
 お寿司は「草の実の上に魚の肉を乗せたもの」。
 
 
 皆さんがお昼に食べている、その白いごはん。
 
 それって、どこかに生えていた「草の実」なんですよ。
 
 無から湧いて出てきたものではなくって、
 どこかの地面に実際に生えていた草の実なんですよ。
 
 それって、すごく面白くないですか?
 
 笑っちゃうくらい面白いんですけれど、
 それって僕の頭がおかしいんですかね?
 
 
 
 同じ感覚ですけれど、僕は「髪の毛」を「体毛」として見ると、
 ものすごく面白くなります。あれ、実際に人体から生えているんですよ。
 
 体毛なんですよ、体毛。
 
 その体毛をいろんな形にしたり、いろんな色にしたりしていると思うと、
 ものすごく面白くなっちゃうのは、僕だけでしょうか?
 
 やっぱり、僕の頭がおかしいんですかね?
 
 
 
 そんなこんなで、二度目の稲作は、とりあえず終了。
 
 こんな終わり方でいいのかという思いも少しあるものの、ま、いいんです。
 ゆるーい感じで終わって、ま、それでいいんです。

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posted by 加藤のどか at 12:00| 高知 | 農業のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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