2008年09月30日

食事のリズム・中編

昨日の話の続きです。

昨日は、食事リズムとして

「食べる」→「がんばる(労働・スポーツなど)」は、正しくないといいました。
正しくないというか、我々のご先祖が何十万年と続けてきたリズムでは、ない。

「食べる」→「寝る」のほうが、身体に慣れ親しんだリズムではないか。



その観点から、私たちの生活を見てみましょう。



一般のサラリーマンの生活。

サラリーマンの生活で、もっとも「労働」が激しいのは、いつでしょうか。

通勤時間帯ですね。
満員電車にもまれて通勤するのは、かなりの労働です。
人によっては、2時間ほど立ちっぱなし&徒歩という「がんばり」を行います。

その場合、「1日3食」「朝ごはんを多く、夕食を少なく」すると、どうなるか。



「食べる(朝食・多い)」→「がんばる(朝の通勤〜午前の仕事)」→
「食べる(昼食・普通)」→「がんばる(午後の仕事〜帰宅)」→
「食べる(夕食・少ない)」→「寝る」



おかしなことになりますね。

唯一、「食べる」→「寝る」が出来るのは、夕食時だけ。
まともな「夕食」が、3食の中で最も軽視されています。

朝食と昼食は「食べる」→「がんばる」という順番になっています。



これを、身体が慣れ親しんだリズムに変えるには、どうしたらいいか。

正しいリズムは「食べる」→「寝る」もしくは。
「失敗(食べ損ねた)」→「がんばる」。

午前と午後の「がんばる(労働)」が動かせない以上は、
その前には食事をとらないほうが良いことになります。

「失敗(絶食)」→「がんばる(朝の通勤〜午前の仕事)」→
「失敗(絶食)」→「がんばる(午後の仕事〜帰宅)」→「食べる」→「寝る」


となってしまいます。

しかし、これではいくらなんでも、お腹がすくでしょう。
朝食か昼食、どちらかは食べたいものです。



ここでポイントは。



午前と午後、どちらにも「がんばる」がありますが、
午前のほうが「通勤」という肉体的な労働が入っている分、
「がんばる」割合が強いということ。(帰宅時のほうが電車はすいているし)

肉体労働の人ならともかく、デスクワークの人であれば、
午後の「がんばる」は「頭ががんばる」ことであり、身体は休んでいます。


ということは、昼食をとったほうがいい。
理想としては、昼食後に少しの昼寝をとったほうがいい。

ラテン諸国では「シエスタ」と呼ばれる時間帯ですね。


すると、こうなります。


「失敗(絶食)」→「がんばる(朝の通勤〜午前の仕事)」→
「食べる(昼食)」→「寝る(昼寝)」→「がんばる(午後の仕事〜帰宅)」→
「食べる」→「寝る」



朝食抜きでの労働に心配を感じるかもしれませんが。

現代でも、最も身体を使う職業の人は、このリズムです。


それは、力士。


力士の食事は、1日2回。彼らの食事リズムは、どうなっているかというと。

「朝食なし(絶食)」→「がんばる(稽古)」→「食事」→「寝る(昼寝)」→
「がんばる(朝の稽古ほどには頑張らない)」→「食事」→「寝る」

昔ながらの食事リズムになっているんですね。



「1日2食健康法」というものがありますが、
その主眼は、朝食を抜くということ。

力士のような、そして我々のご先祖のような食事リズムにしようというのが、
「1日2食健康法」の目的だと思うのです。



・・・ここまでで、まとめようかと思っていたんですが。

最近、また新しい「食事リズム」が出てきています。
(最近というほど最近でもないですが)

ハリウッド女優さんなどの間で流行っているのが、
1日5〜6回にも食事を分けて、少しずつ食べてるというもの。
マクロビオティックと併用している場合もあります。

この食事リズムは、一体どう考えればいいのか。



またまた続きますので、それはまた明日の話。



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posted by 加藤のどか at 03:50| 高知 ☔| 食べ物のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月29日

食事のリズム・前編

食べてすぐに寝ると、牛になると言います。


子供のころ、その話を聞いて、
じゃあ鶏とか豚のエサに睡眠薬を混ぜておいたら、
翌朝はすべて牛になっていて、畜産業者は儲けまくりじゃないか。


なんて思ったものです。純粋でしたね、あの頃は。ま、それはさておき。


食べてすぐに寝るのは、良くないことだとされています。
(寝る3時間前には、何も食べないほうがいい、とか言いますよね)


どっちかというと「食べたら動く」というリズムのほうが、
我々の生活には、身近なんじゃないでしょうか。

「腹が減っては戦はできぬ」というヤツです。



ドラゴンボールの孫悟空は、腹が減っていては力が出ない。
ごはんをガツガツ食べると「みなぎってきた!」とかいって、戦闘しますよね。

この場合は「食べる→寝る」ではなく「食べる→動く」の順番です。



「食べる→寝る」と、「食べる→動く」。
人間の身体にとっては、どっちが正しいのでしょうか?



そもそも、大昔の人間は、どっちの順番だったのでしょうか。

これは、アマゾンとかニューギニアの奥地に住んでいる、
いわゆる「未開部族」と呼ばれる人たちのライフスタイルを見れば、分かります。

彼らは「食べる→寝る」の順番です。

正確には「食べる」の前には、食べ物をとるための労働がありますから、
「がんばる(狩猟採取)」→「食べる」→「寝る」の順番ですね。



ここで、がんばったけれども、食べられなかったというケースもあります。
(一生懸命、イノシシを追っかけたけれど、逃げられたとか)

その場合は

「がんばる」→「失敗」→「がんばる」→「食べる」

という順番になります。

あまりにも失敗が続くと、

「がんばる」→「失敗」→「がんばる」→「失敗」→「がんばる」→「失敗」→
「がんばる」→「失敗」→「がんばる」→「失敗」→「死」

という順番になります。残念。また来世。



人間の食事リズムというのは、長い間、この2通りでした。

「がんばる」→「食べる(成功)」→「寝る」か。
「がんばる」→「失敗」→「がんばる」か。

何十万年と、こういう食事リズムをしてきたのですから、
私たちの身体は、このリズムに則ったときに、最も力を発揮すると思うのです。

空腹じゃ力が出ないのではないか、と思われるかもしれませんが。

一番、力を発揮しなきゃいけないのは、獲物をとるとき。
つまり「空腹でどうしようもないとき」にこそ、最も力を発揮する。

人間の身体というのは、昔からそういうリズムで生きてきたんですね。



すると。



「食べたら牛になるよ」とか、
孫悟空が満腹になったから戦いだすというのは、おかしいということになります。

両方とも「食べる」→「がんばる」のリズム。これは、変。

本来だと、食物の栄養をゆっくりと身体にいきわたらせるため、
「食べる」のあとには休む(寝る)のが正解だと思うのです。

そのほうが、正しい食事リズム。

正しいというか、人間が慣れ親しんできたリズムです。



では。

この食事リズムを前提として、現代の私たちの生活を見直してみましょう。

「1日3食きちんと食べる」「寝る3時間前は食べてはいけない」
「朝食をしっかり食べて、夕食は少なくする」

このような「常識」は、本当に正しいのでしょうか?



ちょっと長くなりますので、それはまた明日の話。
(最近、前後編に分ける話が多くなってきた)


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2008年09月28日

田舎暮らしを体験してみる

こんなニュースがありました。
http://www.asahi.com/housing/news/TKY200809240019.html

栃木県の矢板市というところが、田舎暮らし体験のために
古民家を月5万円で貸し出したところ、申込者が殺到したという話。

ただし永遠に住み続けるわけではなく、
あくまで「体験」のためなので、期間は「1〜6ヵ月」と定められています。

「田舎暮らしといわれても 住んでみなけりゃわからない」
という要望に市が応えてくれたという、なかなかイイ話だと思います。



実際、そうなんですよね。

住んでみなけりゃ、わからない。やってみなけりゃ、わからない。



例えば、農業だって、そう。
自分に農業が向いているかどうかなんて、やってみなけりゃわかりません。

問題は、その「やってみる」期間です。


1日じゃ、わかりません。楽しいだけで時は過ぎます。
1週間でも、わかりません。これも楽しいだけで乗り切れる期間。


僕の実感から言えば。


最低でも1ヶ月。できれば半年から1年。

それくらいやって、はじめて「農業」が自分に向いているか否かが、
分かってくると思うんです。



「そんなに長く?」と思われるかもしれませんが。
例えば、スポーツを考えてみてください。



はじめて野球を体験してみて「1日」で、野球が分かるでしょうか?
「1週間」で、野球の楽しさや、つらさや、向き不向きが分かるでしょうか?

やっぱり、1年くらいは必要だと思うんですよ。



「スポーツ」も「暮らし」も、身体を使うということでは、同じこと。

身体を使うことっていうのは、どうしても慣れるまでに時間がかかります。
慣れた時点で、自分にとっての「向き・不向き」が、はじめてわかる。

だから、冒頭で取り上げたような「暮らし」の体験は、価値があると思うのです。



とはいえ。



普通の人にとっては「1年」の体験なんて、非現実的ですよね。
独力でやろうと思っても、難しい。

栃木県矢板市がやっているような、何らかの取り組みを利用しない限り、
独力で「1年間の体験」をするというのは、本格的に田舎暮らしをはじめるより、
難しいものがあると思います。


何かそういう取り組みはないものかな〜と探していたら。

こんなのもありました。
http://www.n-gec.org/g_furusato/index.html

『緑のふるさと協力隊』というもので、
田舎の地方自治体に1年間住んでみて、暮らしぶりを体験してみよう、
というプロジェクトです。

年齢は18歳〜40歳までで、今年(平成20年度)は
36名の方が、全国各地の田舎で「1年間の暮らし体験」をしています。

ま、詳しく知りたい方は、上のリンクからお進みください。

こういうサポートを利用して、田舎暮らしの第一歩を踏み出すという方法も、
あると思います。(移住してから「向いてなかった」と思うより、よほど良い)



「やってみなけりゃわからない」ことの、一番の対策は。
「とりあえずやってみること」だと思います。失敗をおそれないこと。



野球だって、空振りを気にしないでバットを振らなきゃ、うまくなりません。

頭だけで「バットを振って、かすりもしなかったらどうしよう。ボテボテの
ピッチャーゴロだったら、どうしよう。その場合は、ともかく一塁まで
一生懸命、走るしかないか。そもそも、僕は野球に向いているのか?」

なんて考えている人は、野球が下手そうですね。たぶん上手くなりません。

「とりあえず」で、ブンブン振り回す人のほうが、
うまく、そして楽しく、野球を体験できそう。


何だって、同じことだと思うんです。



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posted by 加藤のどか at 13:22| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月26日

紅葉の秘密

秋ですね。

秋のレジャーといえば、紅葉狩り。

赤や黄色に染まった木々を愛でるのは、なかなか風流なものです。ザ・日本人。



ところで。



なぜ、緑色の葉っぱが、赤や黄色に変わるのでしょうか。不思議です。

きょうは、紅葉にまつわる話をば、一つ。



まず。なぜ葉っぱが緑から赤&黄色になるんだ? という前に。

なぜ、葉っぱは緑色をしているのでしょうか。



これは、小学校や中学校の、理科の授業で習いましたね。

「葉緑素」なるものがあるからです。

葉緑素は、光合成の要となる物質。正式名称は「クロロフィル」といいます。

「クロロフィル」と「葉緑素」は、同じもの。
「塩化ナトリウム」と「塩」みたいな関係です。

緑色のクロロフィルが葉っぱに含まれているから、
葉っぱは緑色に見えるんですね。



この葉っぱが、落葉を前にして、赤や黄色へ変わります。

「葉っぱが落ちる前に」ということは。
「葉っぱが落ちない」木ならば、紅葉もしないということ。

杉やヒノキや松のような「常緑樹」は、紅葉しませんよね。落葉もしません。

「落葉」と「紅葉」は、つながっている一つの現象なんです。

なぜ葉っぱが紅葉するのかを考えるには、
なぜ葉っぱが「落ちる」のかも、考えなくてはなりません。



なぜ冬になると葉っぱが落ちるのか。
これも、小学校や中学校の理科で習ったと思います。

木は、冬になると、根から水を吸収する力が弱まります。

一方、葉っぱからは常に水が蒸発しています。
ほうっておくと、水は吸えないのに、蒸発していくという状況。

カラカラになっちゃいますね。

それが嫌だから、葉っぱを本体(幹)から切り離し、
水が蒸発しないようにするんですね。

それが「落葉」の理由です。



さて。



葉っぱを落とすときに、自動的に「葉緑素」も地面に落ちてしまいます。

木は考えました。


モッタイナイ。
マータイさんに怒られちゃう。


葉緑素をつくるのは大変です。
せっかくつくったものを、むざむざ地面に落っことしたくはないんです。

だから、葉っぱが落ちる前に、葉緑素を本体(幹)の中に取り込むんですな。
それを来年、葉っぱを萌えさせるときに再利用するわけです。リサイクルです。



葉っぱから葉緑素が本体(幹)に移動すると、どうなるか。

葉緑素以外の物質が残ります。

葉っぱには、葉緑素以外の物質も、いろいろあります。

だけど、それは別に、木にしたらそんなに惜しくない。
葉緑素は必要だから本体に取り込むけれども、ほかのは別にイイ。

その「他」の物質の色が、赤や黄色だったりするんです。
(その他の物質が特にない種類の木の場合は、ただの「枯葉」になります)



わかりやく言えば。



「赤」や「黄色」に見えるものは、木にすれば、特にいらない物質。

つまり、カス。うんこです。

赤や黄色というのは、木の「うんこ」の色なんですね。



紅葉を見て美しいと思うということは、
木の「うんこ」を見て、美しいと思うということなんです。



・・・という話を知り、なんだか複雑な気持ちになりました。

そんな複雑な気持ちを、皆さんと共有してみようと思ったのです。



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posted by 加藤のどか at 13:21| いろいろなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月25日

彼岸花

お彼岸です。

中日(なかび)は昨日でしたが、
彼岸は「中日(春分・秋分の日)+前後3日」を指すので、一応今日も彼岸です。

彼岸とは「彼方の岸」、つまり三途の川の向こう側、死者の世界を指す言葉です。



しかし、本来の意味は違ったんです。

彼岸の本来の字は「非願」。

「叶えられなかった願いが現れる時期」というのが、
「非願」の時期、つまり「彼岸」なのです。

誰の「願い」だったのか?

叶えられない願い。もう絶対に叶えることのできない願い。

つまり「死者の願いが、この世に現れる時期」というのが、
本来の「非願」、すなわち彼岸の時期、という意味だったのです。



死者の思いというのは、特定の形になって、この世に現れます。


彼岸花です。


別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)ともいいますね。

曼珠沙華とは、梵語の「マン・ジュシャーガ」に由来します。

梵語というのは、古代インドで使われていた(今も使われていますが)言語。
今でいう「サンスクリット語」という言語です。

古代仏教が生まれたころの、公用語でした。

そして、梵語の「マン・ジュシャーガ」とは「魂」という意味なのです。


なぜ、彼岸花が「魂」という意味の「マン・ジュシャーガ」と名づけられたのか。

それは、死者を埋葬した後、不思議とこの花が、
墓地に咲き誇ることに由来しています。

しかも、殺されたり、若くして死んだり、長い闘病の末に亡くなったりという、
この世への「念」が強い死者の墓ほど、この花が咲き誇るのだそうです。


同じような伝承は、古代インドだけではなく、
中国内陸部や東南アジア、そして日本でも聞くことができます。


日本でも、彼岸花の本来の字は「非願花」。
この世に思い残した「念」の強さが、花となって咲くとされているのです。



日本の気候では、たまたま彼岸(秋分の日の前後)に咲くため、
「彼岸に咲くから彼岸花」と思われていますが、本来の意味は違いました。

実際、彼岸の時期に咲くとは限らない、
インドや東南アジアでは、彼岸花は「死者の魂の花」という意味なのです。

日本では「非願花」では縁起が悪いということで、
江戸時代に「非願花」から「彼岸花」へと、表記が変わっていったのです。



そして彼岸花には、共通する、重要な言い伝えというものがあります。


それは「彼岸花を折ってはいけない」ということ。


彼岸花とは、死者の魂(マン・ジュシャーガ)や念(非願)が、
形となって現れたものです。

ですから、自然に咲いて枯れれば、それで成就するのですが。

それを人の手で折ったり、切ったりしてしまうと、
そこから「死者の念」が湧き上がり、折った人に取り付いてしまうというのです。

そして、彼岸花を咲かせた死者と同じ亡くなり方をする、という伝承があります。

細かいところは違えど、インド・中国・東南アジア・日本に、
共通する「彼岸花の注意点」です。


さらに、注意しなければいけないのは。


墓地に咲く彼岸花よりも、野に咲く彼岸花のほうが危険だということです。

彼岸花というのは、同じ場所に何年も咲き続けます。

「死者の念」が成就したら自然と枯れる、とされているのですが、
中には何百年も同じ株が咲き続ける彼岸花もあります。

そういう花は、墓地が形をなくし、野原となった後でも、
その場で咲き続けています。

何百年、何千年と一箇所に咲き続ける花ですから、
野原の彼岸花ほど、念が強いから、絶対に折ってはいけないと言われているのです。



ですから、田舎ではこの時期に草刈りをすることは、絶対にありません。

間違って切ってしまうと、いけないですから。

彼岸花が咲く前の、9月上旬あたりに一斉に草刈りをしてしまうのです。
「花が咲く前」の茎ならば、刈り取ってもいいそうです。



道端の彼岸花がきれいだなと思っても、折ったりしてはいけないのです。

特に、何もない野原に咲く彼岸花ほど、注意が必要になるのです。

折ってしまうと、何百年も前の「死者の念」が、
乗り移ってしまう、とされているからです。



皆さん。

綺麗だからと彼岸花をうっかり折ってしまった思い出、ありませんか?








































































































(゜▽ ゜)なんちゃって♪


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posted by 加藤のどか at 13:20| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月21日

ダチョウ肉

霜降り肉はまずい! (゜△ ゜)



という話を先日、メルマガで書いたところ、多くの読者の方から
「たしかにまずい!」「私もそう思う!」「I think so too!」などの
メールをいただいたので、調子に乗ってもう一回、肉の話をしてみます。



だけど、今度は美味しい(と、僕が思う)肉の話。



僕は、もともと肉が嫌いなベジタリアンというわけではなく、
人並みにハンバーガーも牛丼も食べる。ま、普通の食生活でした。

肉が大好きというわけではないけれど、嫌いでもない。本当に、普通の食生活。



そんな僕の「肉観」が変わったのきっかけは、
数年前の、オーストラリアでの体験でした。



数年前にオーストラリア旅行に行ったとき、
毎度毎度外食では飽きてくるし、面白くもないので、
市場に行って食材を買おうと思ったんです。

オーストラリアの市場というのは、店員数人の個人商店が、
何百店も軒をつらねている、という感じ。

果物屋さん、有機野菜屋さん、チーズ屋さん、魚屋さんなどが、
ところ狭しと並んでいるんです。



で。



オーストラリアに来たのならオージービーフだろう!
という単純な発想で、肉屋さんでステーキ用の肉を買い求めました。

肉屋さんで最高級の部位(フィレ肉)を買ったのですが、
そんなに高くはなかったです。

1キロ=20オーストラリアドルくらいだったから、
日本円に直すと 1キロ=1800円、100グラム180円ですね。

そんなものです。



それを持ってかえって、キッチンで焼いて、
手製ステーキを食べてみたのですが。





これがウマい!!! 驚くほどンマかった!!! (゜▽ ゜)





・・・一応、言っておきますが。

当然、日本でもステーキを食べたことはありますよ。
ステーキを初体験して感激した、というわけじゃないです。

戦後すぐの時代を生きる少年じゃあるまいし。

人並みに、スーパーで売っているステーキ用の肉から、
いわゆる高級霜降り肉のステーキまで(ほんの少しだけだけど)
食べた経験はあります。

まあ、たしかにそれらも美味しかったですよ。
基本的に何でも美味しく食べちゃう舌の持ち主ですから、僕。



でも、オーストラリアで食べたステーキ(自分調理)の
美味しさというのは、全く次元が違いました。

食材の「肉」が、全く違ったんですね。
日本のものと、オーストラリアのものとでは。

肉の味がある、というのか。

今まで食べていた肉は、脂の味であって、
本当の肉の味ではなかったのだ、という印象。衝撃でした。



例えて言えば、生まれてこのかた、スシローとカッパ寿司でしか寿司を
食べたことがなく育ってきた一人の男が、はじめて銀座久兵衛で
おまかせコースの握りを食べたときの衝撃、というのか。

例えて言えば、生まれてこのかた、なっちゃんやバヤリースしか
飲んだことがなく育ってきた一人の男が、はじめて100%絞りたての
オレンジジュースを飲んだときの衝撃、というのか。

例えて言えば、生まれてこのかた、春一番とアントニオ小猪木とアントキの猪木
しか見たことがなく育ってきた一人の男が、はじめてアントニオ猪木に
出合ったときの衝撃、というのか。



そんなカルチャーショックを受けたんですな。
それくらい、オーストラリアの牛肉が美味しかった。

(その店だけでなく、他の店でも買ってみたけれど、
 やっぱりどの店の、どの部位の肉でも、美味しかったのです)



さて。



そんな体験があって日本に戻ってくると、
どうも今まで食べていた焼肉だのステーキだのというのが、まずく感じられます。

肉が臭い、脂が臭い、というか脂ばっかり。
肉の旨味を感じられる肉というのが、なかなか見当たらなかったんです。



そんなときに友人から、近く(といっても、香川県になるのだが)に
ダチョウ牧場をやっている人がいるよ、という話を聞いたんです。





ふーん (゜о ゜)←特に興味なし





ダチョウ?

確かにダチョウ肉というのは耳にしたことはあるけど、美味いのかそれ?
何だかゲテモノっぽいよね、ダチョウ肉とかいって・・・


という印象だったんです。ダチョウ肉に対しては。
それが、のちのちアレほど惚れ込むことになるとは、想像できませんでした。

ま、長くなりますので、それはまた明日の話。
(タイトルが「ダチョウについて」なのに、ダチョウの話をせずに終わる)




さて。


友人からダチョウ牧場の話を聞いても、あまり興味はなかったんですが。

まあ休日の観光がてら、
ダチョウ牧場なるところに行ってみるか、ということになりました。

あ、僕は高知の山の中に住んでいる、といっていますが、
香川は高速道路を使えば、近いんですよ。車で1時間くらいで行けるんです。

旅行っていうより、ドライブ感覚で行けるんですね。高速はガラガラだし。



と、いうことでダチョウ牧場を探しにドライブしていたのですが。





・・・無い。(゜о ゜)





前もって住所を調べてきたのですが、
それらしきところが見当たらない。

牧場というからには、北海道のように広大ではないにしても、
公園くらいのスペースがあって、そこにダチョウがいるのだろうと。

勝手に想像していたのですが、見当たらない。



・・・というか、住宅街なんですけど。(゜о ゜)



調べた住所は、明らかに普通の住宅街。ダチョウのいる気配なし。
ダチョウどころか、ニワトリ一羽、ウズラ一羽いる気配なし。
ここに住む鳥類はスズメ&カラスくらいのものだろう。そんな街並み。



疑問に思いながらウロウロと車を走らせていると。

ある民家の軒先に、看板が出ているのを見つけました。



「○○○ダチョウ牧場  ダチョウ肉 販売」



との文字が。



・・・ここ、普通の民家なんですけど。

ひょっとしたらダチョウ牧場は別のところにあって、
ネットで調べた住所は「事務所」の住所だったのか?

そんな思いを抱きながら、ふと庭の裏手を見ると。





ダチョウがいる!!!!!(普通の住宅街に)

えええええええぇぇぇぇええぇぇぇぇえぇぇえぇ???? (゜△ ゜)





え? 何ここ? 住宅街の真ん中にダチョウが2匹いるんですけど?
リアルに動いているんですけど? ペット? 家畜? 白昼夢?

あ、正式にはダチョウも「羽」で数えるのかもしれませんが、
ありゃどうみても「羽」なんて生易しい単位にはそぐわない。

印象だけだと「頭」、ゆずって「匹」がふさわしい。そんな威圧感です。



でも、たしかにダチョウがいるんですから。



ここがダチョウ牧場だ。間違いない。
(長井秀和さんは現在ニューヨークで活動中です。がんばってください。)



おそるおそる「ダチョウ肉 販売」の文字が掲げられた民家のベルを押すと、
ご主人があらわれました。あのダチョウの飼い主でしょう。



僕「あの、ここ、ダチョウ牧場ですか?」

主「あ、そうですよ。もう潰れちゃったんですけどね」

僕「え?」  (゜о ゜)オヤジ今ナントイッタ?←心の声

主「あの裏にいるダチョウはね、ペットなんですよ」

僕「あ、そうなんですか」  (゜о ゜)住宅街デダチョウヲ飼ウカ普通

主「肉用のダチョウは、全部処分しちゃったんで、もういないんです」

僕「じゃあ、もう肉って売っていないんですか?」

主「いや、最後に処分した肉を冷凍でとってあるんで、
  それをお売りすることはできますよ」





ダチョウ肉ゲット。

フィレ肉・モモ肉・スジ肉・骨付き首肉・ミンチなど。
(もう売れ残りだからって、割引してもらった。ありがとう!)



人生初のダチョウ肉です。



見た目は、赤身の肉。全然白っぽくないんですよ。

ダチョウといえども、一応は「鳥類」ですからね、
鶏肉に一番近いかと思いきや、見た目は牛肉に近いですね。

早速、解凍してフィレ肉ステーキに調理。

食べてみることにしました。



一体、ダチョウ肉はどんな味なのか? 本当に美味しいのか?

次回に続きます。





ダチョウ牧場(今は潰れた)から直接買い付けたダチョウ肉。

まずは、フィレ肉をステーキにして味わってみました。





・・・ウマイ! (゜▽ ゜)

噛めば噛むほど味が出る、この深み!
脂がほとんど無く、肉の旨味を純粋に味わえる!



一昨日のメルマガで書いた、オーストラリアの牛肉。
ダチョウ肉に最も近いのは、あの味でした。

久々に本物の「肉」を堪能。



調子に乗って、翌日にはスジ肉も調理してみました。

こちらは、カレーへと変身。

普通、スーパーで売っている牛肉のスジを煮ると、
アクがたくさん出るし、臭くてたまらないのですが、
ダチョウのスジ肉は臭みも全くなく、柔らかプリプリ。

旨味だけがスープに溶け出すような感じ。
今まで食べたカレーの中で一番おいしかったのです。



・・・という体験があって。



何週間か前に「霜降り肉はおいしくない」という話ついでに、
一番下の【ひとりごと】欄で、「最近はダチョウ肉を食べてます」と
チラっと書いたんですな。

そうしたら、読者の方から「ダチョウ肉は食べたことない。どんな肉なの?」
という類の反応が多かったので。

この機会に宣伝してやろうじゃないか、と思ったんです。微力ながら。



最近、テレビや雑誌でダチョウ肉が
取り上げられることもあるのですが、そのほとんどは


「あっさりしてる」

「脂がないからヘルシー」

「柔らかいし、健康的〜」


などといった意見です。



これを翻訳すれば

「脂たっぷりの霜降り肉が一番おいしいけれど、霜降り肉ばっかりだと
 太っちゃうし、健康的じゃないから、ヘルシーなダチョウ肉がいいよね!
 ダイエットしながら肉たべるんなら、ダチョウもいいよね」

的な感じ。

あくまで、牛肉の代替としての位置なんですね。



うまいまずいは個人の価値観ですから、絶対的な基準など無いでしょうが。

僕の基準では、ダチョウ肉のほうがおいしいです。



肉を食べて「ジューシー」とか「肉汁がぁ〜♪」とかいってるのは、
「脂」の旨味であって、「肉」の旨味じゃありません。

本当に「肉」を味わいたいのならば、赤身の肉が一番いいのです。



魚でいうのであれば、脂がたっぷりのった大トロやサーモンよりも、
白身魚のほうが、本当の魚の味というのを味わえると思うのです。

同じように、肉の本質を味わいたいのであれば、
脂が無い赤身の肉を味わうのが、本筋です。



ダチョウというのは、脂がつきにくい肉質で、ほとんどが赤身なんです。

だから「パサパサしている」なんて意見もあるようですが。

それは白身魚をたべて「なんか味がないよね〜」とホザク女子高生のようなもの。



肉の味は、赤身にこそあり。



と、思うのです。

牛肉も、きちんと育てれば美味しいんですよ、絶対に。
現に、オーストラリアで食べた牛肉は大層おいしかった。

ですから、ダチョウ肉が牛肉よりもおいしい、とは言えませんが。

少なくとも、日本で普通に売っている牛肉よりは、
ダチョウ肉のほうが美味しいです。
(日本のオージービーフは、かなり古くて、臭くなっていますし)



こうやってダチョウ肉を宣伝すれば、クチコミで広がっていって、
実際に食べた人が美味しさに目覚め、ダチョウ肉人気に火がついて、
肉の「赤身」の美味しさが見直されて、霜降り肉が淘汰されて、
ダチョウ産業も成長し、肉牛生産は霜降りから赤身へと価値観が変わり、
スーパーで売っているのも霜降り肉ではなく、健康的な牛肉や
ダチョウ肉や、地鶏などを中心としたものになり、消費者の健康も増進され、
美味しいものを食べるからみんな幸せになり、家族そろってごはんを
食べる習慣は普通のこととなり、いじめもなくなり、校内暴力もなくなり、
盗んだバイクで走り出すヤツもいなくなり、経済は栄え、人々は富み、
太陽は輝き、木々はその緑を風にゆらし、誰しもが平和で楽しく生きる
世界に少しでも近づくのではないか。今夜の食事が美味しいのならば。



と、思うのです。



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2008年09月19日

おらこんな村やだ

だんだん田舎の暮らしに慣れるにつれ、感じてきたことなんですが。

田舎出身の人は、吉幾三じゃないですが、
「おらこんな村やだ」ってことで、都会に飛び出していきますよね。

あの気持ちが、分かってきました。



都会に住んでいたころは
「田舎が嫌だから都会に出てきた」と言われても、理解できなかったんです。

田舎に住んだことが無いですから。

「何もない」などと言われても、実感できない。
こちとら、生まれてこのかた東京にしか住んだことのない男でしたから。



都会に憧れるといわれても、一体何が面白いんだろう、と。
家賃だって高いし、お台場や原宿なんて特別楽しいところじゃないし。

「どうしても都会に住みたいんだッ!」という
田舎出身者の気持ちが分からなかったんです。




それが、田舎暮らしをはじめて2年くらいたち、
だんだんと、その生活が「普通」になってきだした今日このごろ。

実感として、腑に落ちてきたんですね。




田舎の、変化の少ない生活。
周りの顔は、見知った顔ばかり。
たぶん10年後、20年後も、同じ町並みと生活がある。




そういう田舎の空気が、やっと肌で感じられました。

だからといって、僕は都会にまた住みたいとは、思わないんですね。
それは、都会の暮らしを十分、知っているからです。

でも、田舎で生まれ育った人が、都会に憧れる気持ちというのは、
とてもよく分かります。



というか、もし僕がこの土地(高知県山間部)で生まれ育っていたら、
絶対に高校卒業した時点で、東京に出て行ったと思います。



なんだか、ひねくれた話です。



僕は、田舎の生活が新鮮ですから、
田舎の人にとっては「変わらない」生活であっても、
いろいろと面白いことがあるんです。

例えば。春になって山菜が顔を出し、田植えをし、秋になったら収穫する。

田舎出身の人にとっては、面白くもなんともない、
毎年のルーティーンだと感じる出来事かもしれませんが、
都会出身の僕の目から見れば、それだけでも面白いんですよね。
(10年後には飽きているかもしれないが)



同じように、僕にとっては面白くも何ともない、
原宿やお台場の街並みであっても、それを新鮮だと感じる人はいるわけですし、
田舎出身の人にとっては、毎日新たな発見があるのかもしれません。



変化が無い、刺激が無いというのは、
環境のせいではなくて、自分の感受性のせいなんですかね。



思えば、僕はずっと東京にいながら、一度もハトバスに乗ったこともないし、
知らないことなんてたくさんあるはずなんです。

知りつくしたと思える故郷でも、よそから訪れた人には、新鮮な町。

旅行者の目線で、自分の住んでいる町をながめてみたら、
何か新たな発見があるやもしれませんね。



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ラベル:吉幾三
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2008年09月17日

玄米

最近、玄米食です。



なんて書くと、マクロビでも始めたか? と、思われるかもしれませんが。
特別な決意があって玄米食をはじめたわけではなく。

きっかけは単純なことでした。





白米がなくなったから。(゜△ ゜)





うちでは、自分でつくった米を食べております。
でも、米をすべて「白米」で保存しておくわけではないんです。

劣化しにくい「玄米」の状態で保存しておいて、
10キロずつ、近所のコイン精米機で精米して、白米にしているんです。



ある日、うっかり精米を忘れてしまい、白米が底をついてしまいました。

でも、玄米は山ほどある。

じゃあ、玄米を食べようじゃないか。
(うちの炊飯器には「玄米モード」なるものがあるし)

そういうきっかけで、仕方なく玄米を食べ始めたんです。





「仕方なく」、というのは。





正直、僕は玄米食に対して、あまりいいイメージを持っていなかったんです。

なぜなら、まずいから。



東京に住んでいる時分に、何度か食べたことはありますが、
どうも美味しいと思えなかったんです。

当然、健康にいいというイメージは、ありましたよ。

「まずいけれど、健康にいいから我慢して食べる」という
イメージだったんですね、玄米に対しては。

ですから、田舎に住んでからも、好んで玄米食にしようとは思わず、
白米が底をついたというアクシデントで、仕方なく玄米食になったんです。





さらに幸か不幸か、そのころは雨続きの天気だったので、
精米に行くのが億劫であり、数日間、玄米食を続けることになりました。





そこで目覚めた。

玄米はウマイ! (゜▽ ゜)←変わりやすいタイプ



これは人それぞれでしょうが、僕の場合、ポイントは「水加減」にありました。

細かい話になりますがね。というか、どうでもいい話になりますがね。

うちの炊飯器には、「白米用」の水目盛りと、「玄米用」の水目盛りがあります。
白米と玄米では、水の量が違うんですね。

同じ量を炊くにしても、白米よりも、玄米のほうが水を多く入れるんです。



最初、真面目に目盛り通りの水加減にしたら、
べちょべちょの、おかゆみたいな玄米になりました。これは不味い。

そこで、水加減を白米と同等にしたんです。
ついでに、炊く何時間か前から水につけておく、ということもやめました。

そしたら、うまく炊けたんですね。
うちの米は、市販の米のように乾燥機で乾燥させていないため、
水分量が多かったのでしょう。

細かくてどうでもいい話ですが、そういうことで、美味しい玄米が炊けたのです。



さて。

そんなこんなで炊き上がった玄米が、すこぶる美味しい。



僕の場合は、同じ米の「白米」と「玄米」を食べ比べていますから、確実です。

白米よりも、玄米は美味しい。



どうしてか。



白米というのは、精米してから味が落ちていくものなんです。
精米したての白米は、うまいですよ。本当に美味しい。

でも、この美味しさが続くのは、せいぜい3日ほど。
どんどん風味が劣化していくんですね。

米も生鮮食品なんです。
(ちなみに、スーパーで売ってる米は、既に劣化した白米です)

なぜ劣化するかというと、白米というのは「死んだ米」だからです。



玄米というのは、生きた米。
土に落とせば、芽が出てくるんです。

そこから、生命活動に必要な部分を取り除くのが、精米。結果、白米ができます。

白米は死んだ米だから、玄米に比べ、劣化スピードが速いんです。

精米から日がたつにつれ、風味も、甘味もなくなっていく。
それは、はっきりと分かります。(僕は敏感な舌の持ち主ではないと思いますが)



玄米は、ぼそぼそしていて、不味いという意見があります。

でも、これは「好み」の問題じゃないですかね。食感については。

白米のほうが柔らかいことは間違いありませんが、
今の僕から見れば「食べ応えがない」と表現することもできます。

あっけない。口の中に残らない。食べた気がしない。
「柔らかい」というのは、別の観点から見れば、そういう評価にもなります。



食感は「好み」の問題だと思うんですが、
甘味や風味については、はっきりと片方に軍配を上げることができます。

これは、玄米のほうが上。

細かく言えば、玄米と、精米したての白米は同等。
普通の白米ならば、味は玄米にはかなわない。そう思います。



僕は実際に玄米を食べてみて、玄米が不味いというイメージが変わりました。



一方で、世間の「玄米がまずい」という意見にも納得するんです。
僕は玄米を食べますが、皆さんにはことさら玄米を薦めようとは思いません。

普通のスーパーで買うのであれば、玄米よりも白米をおすすめします。



なぜか。



玄米と白米の大きな違いは「胚芽」がついていることです。

米の、生命がつまった部分。
卵でいえば、黄身。魚でいえば、内臓。そんな部分。

ここに栄養がつまっています。



そして、各種の有害物質もつまっているんです。



秋の味覚、サンマ。
通人が、最も美味だと評するのは、内臓の部分だそうです。

しかし、内臓には毒もたまる。だから、サンマの内臓は残すべきです。



米も同じ。



胚芽には栄養もある。しかし、毒も溜まる。
だから、白米のほうをおすすめしたいんです。



スーパーで売っているようなお米は、はっきり言って、
どこの誰が作ったかもわからないお米です。

三笠フーズを例にもあるように、
その米がどこで作られたかなんて、真実は知りようがありません。

それに、あまり美味しくない米の場合は、玄米のほうが美味しくないです。
不味い玄米のほうが、不味い白米より、不味い。

美味しい魚の内臓は美味しいですが、
まずい魚の内臓は食べられたものじゃない。

だから、不味い玄米は、健康にもよろしくない。



もし玄米食をしたいのならば。



一番いいのは、直接、信頼できる農家さんから買い付けること。
当然のことながら、無農薬のほうがいいでしょうね。
農薬成分が残留するとすれば、「ぬか(胚芽)」の部分ですから。

そして、不味い玄米は食べないこと。
かえって健康を害すると思います。



不等式であらわすならば

良い玄米≧良い白米>普通の白米>普通の玄米>外食>>>>>>>事故米

ということです。





話は変わりますが。

1年くらい、自分でつくった米を食べていて、恐ろしいと思うことがあります。

美味しいんですよ、自作の米は。
たまに外食なんかすると、米がまずい。明らかにまずい。


それが恐ろしい。


というのは、僕は別に、稲作に本気で取り組んでいるわけではなく。

去年なんか「植えて生えればいいね」くらいの勢い。

除草剤も農薬も、やっています。(それぞれ1回のみですが)

素人も素人、超いいかげんな米づくりですよ。



なのに、すごく美味しい米ができた。



じゃあ、普通の米って、どんなふうにつくってんだよ! と思うんです。

あんな適当につくって、美味しい米ができるのであれば。
不味い米は、一体何をしているんだ? どんな保管状態なんだ?
(うちの保管状態は、6畳間に山積み)



ちょっとね、それが恐ろしいのですよ。



僕も若かりしころは、米なんてみんな同じだろうと思っていました。

コシヒカリ? ササニシキ? 味の違い? わからねぇよ、米は米。

そう思っていた頃がありました。



でも、違う。

米の味は、驚くほど違うんですよ。

スーパーの米の食べ比べはわかりませんよ。
1500円の米と、2000円の米を比べろといわれても、
僕は分からないと思います。そこまで敏感な舌じゃない。

でも、農家が自家用に、天日干しでつくっている米と、普通の米ならば、
明らかに違うんですよ。これが。

百聞一見にしかず、一食にしかず。文章では伝えるのに限界がありますが。



・・・玄米の話でしたね。昨日今日と。むりやりまとめましょうか。



ま、不味い玄米を食べるくらいなら、白米を食べたほうがいい。
そして本来、玄米は不味いものではなく、とても美味しいもの。

それを伝えたかっただけです。はい。以上。



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2008年09月16日

オオカミ

サルやイノシシやシカが、人里に出てきて、
畑やゴミ捨て場を荒らしてしまい、困っている。



なんてぇ話は、よく耳にします。



その対策として、動物が入ってこないように、
電気柵(触るとビリビリする)を設置したり、空気銃で脅したりするなど、
地元の人は頭をひねっています。



そういう鳥獣対策を見ていて、不思議に思うことがあります。



電気柵にしても。空気銃にしても。
ほとんどは「脅し」であり、動物を殺すわけではないんですよね。

まるで、動物を殺してはいけないという不文律でもあるかのように、
温厚な対応をしているんです。



なぜ、動物を殺してはいけないのでしょうか。



この問いに対するお決まりの反応としては、
環境主義者というべき方々の、こんな反応があります。

(゜△ ゜)大体、動物ちゃんたちが町に出てきちゃうのは、
      人間が環境を破壊したからなのよ!!!
      それを、増えたから勝手に殺すだなんて、命をなんだと
      思っているの! 信じられない!!
      殺すという対策をとる前に、人間と動物が共存できるような
      対策を考えるべきじゃないの!!! むきぃ!

たぶん、鳥獣対策に関わっている多くの自治体は、
こういう反応が怖いがために「殺す」という選択肢をとらず、
穏やかな鳥獣対策にとどめているのだと思います。



たしかに、動物が人里に出てくるようになったのは、
人間の活動の結果です。それは間違いありません。

なぜサルやイノシシやシカが、これほど増えたのか。

一つには、天敵がいなくなったということが挙げられます。

彼らの天敵。オオカミですね。



昔の日本にはオオカミがいました。

オオカミは、畑を荒らすイノシシやシカを食べてくれるので、
人間にとっては有益な動物。まさに神、「大神」だったのですね。

しかし、森林を開発し、人里を広げていった結果、
日本のオオカミは絶滅してしまいました。(たぶん)

結果、サルやイノシシやシカが増えたのですね。



増えた彼らの食物が無いのも、人間が原因。

食物豊富な広葉樹林から、材木をとるための針葉樹林へと、
山を変えてしまったことが大きな原因です。
(針葉樹は、ドングリの実をつけない)

山に食べ物がなくなってしまったので、
飢えた彼らは、おびえつつ人里に出てくるわけですね。



こういう事態に対して、
やってくる動物を脅して、人里に出てこないようにするというのは、
あまりにもお役所的なな、その場限りの対応。

脅したって、山に食べ物がないんですから、
また出てくるに決まっているんですよ。



つまり、対応は2通りしかない。
山から動物が出てこないようにするためには。



・山に食べ物(広葉樹)を増やすか
・動物を減らす(殺す)か



どっちかしか、ないんですよ。

人間の活動によって生態系を破壊してしまったのですから、
一つの動物だけを考えるのではなく、「生態系」を考えないといけないんです。

微生物、昆虫、小動物、鳥類、哺乳類、植物とリンクする生態系全体で
考えたときに、一つだけ爆発的に増えたサルやイノシシやシカというのは、
害をもたらす存在ではないでしょうか。バランスが崩れているんですから。

本来だったら、バランスをとるための「オオカミ」がいなくなったから、
何十年のうちに、オオカミの餌であった動物が増えてしまった。



だったら、オオカミの代役を人間が果たすのは、
当然の責任ではないでしょうか?



それを、殺さずに、ぬるい対応をしてしまう。
絶滅させたオオカミに対しても、会わせる顔がありません。人間として。



追い払った動物が、またやってくる。
  ↓
人間がおいはらう。
  ↓
今度はワナをしかける。
  ↓
つかまえた動物を、山奥へと放してやる。
  ↓
またやってくる。
  ↓
空気銃で追い払う。
  ↓
山に戻っても食べ物がないから、またやってくる。
  ↓
電気柵を設置する。
  ↓
最初に戻る。



これを公務員がやるんですから。税金の無駄遣いでもあります。



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2008年09月15日

アフラトキシン

ずいぶん話題になっている事故米の話を、遅ればせながらしてみましょうか。

一応「農業」メルマガですし。これ。(関係ない話も随分多いが)



でも、僕は高知の山奥の一半人前農家(変な言葉になった)ですから、
農水省の内部事情だとか知りませんし、事故米なんてものが
あるということ自体、今回はじめて知りました。

ということで、テレビやネットで見知ったような情報しかないわけですが。

そんな貧相な手持ち武器でもって、事故米ニュースを切り損なってみましょうか。





テレビのニュースを見ていて、ちょいと疑問なのが、
例のギョーザで有名になった「メタミドホス」ばかりをとりあげていること。

事故米のメタミドホスが基準値の2倍だとか、そういう話ですね。

メタミドホスばかりにスポットライトが当たり、
もう一方の「アフラトキシン」というカビ毒については、
あまり触れられていない。



ところが一方で。



どこぞの有識者(誰やねん)の意見として

「アフラトキシンの致死量は、毒ギョーザで恐れられた
 メタミドホスの数十倍から数百倍」という発言もありました。



何となく、メタミドホスよりも、アフラトキシンのほうが怖そうです。
テレビでも、あまり触れられていないというところが、恐怖を増大させます。



このアフラトキシンというのは、ニュースを見ている方はご存知のように、
「地上最強の天然発癌物質」と呼ばれているカビ毒。

癌でも、特に「肝細胞癌」を引き起こすと言われているそうです。ふーん。



で。
一つ、興味深いというか、恐ろしい話があるんですが。



アフラトキシンが入った事故米は、ここ数ヶ月だけ消費されていたのではなく、
10年くらい前から一般に出回っていたそうですね。

焼酎だとかセンベイなどに含まれて。

事故米製品が消費されていたのは、主に西日本地域。

そこで、どこぞの方が、西日本の肝臓癌の患者数を調べたところ、
見事に事故米が出回ったころから急増している、ということで、
話題になっております。

わかりやすいまとめは、こちら↓
http://himasoku123.blog61.fc2.com/blog-entry-338.html



それに対する反対意見もあるようですね。お医者さんのブログ。

反対意見はこちら↓
http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20080909


どっちが正しいのか、僕は知りませんので、両方載せておきます。



さて。ここまではニュースの概要。

こっから、僕の意見。





いきなり申し訳ないですが。
正直ね、人事なんですよ。僕は自分で米をつくっているから。

ひょっとしたら、今までの(都会の)生活の中で
何度か口にしたかもしれませんが。

今の生活では、口にすることはありません。
避けようと思えば、100%避けることができます。


都会に住んでいたら、今も戦々恐々としていたと思います。


ひょっとしたら、スーパーで買う米にも、何か混じっているかもしれない。
その米を食べたら、何年後には癌になるかもしれない。

米があぶないならば、いわんや小麦をや。

という感じで、怖がっていたと思うんですが。



僕、自分で米つくってますし、ほとんど外食もしないんですから、
99.9%、ヤバイものを口にすることがない状態なんです。

卵も肉も、知った人から買っていますし。野菜や米はつくっていますし。
小麦のかわりに、自家製米粉なんかもありますし。

だから、僕は特に心配していないし、人事なんですが。



皆さんは、大層心配されていると思います。



では、どうしたらいいか。

自給自足をしない限り、100%の安全を確保するのは不可能。
でも、安全度を10%→50%→90%と上げることはできます。

「どうせ、何を食べたって、中身はわからないんだから、
 どうだっていいじゃねぇか」というのは、自棄(やけ)。

できる限り、食の安全を確保する努力をしていくべきです。
自分の安全のためにも、家族の安全のためにも。



最も簡単で、確実な対策は、食費を増やすこと。

食費を増やすといっても、外食を増やすんじゃないですよ。
食材にかけるお金を増やすことです。

具体的には、「食材」にかけるお金を、月2〜3万アップさせてください。



劇的に変わりますよ。



88円の豆腐じゃなくて、200円の豆腐を買う。
198円の醤油をやめて、800円の醤油にする。
100グラム78円の肉ではなく、100グラム150円の肉を買う。
激安焼酎ではなく、小さい酒造会社の真っ当な焼酎を買う。

美食にお金をかけるのではなく、安全にお金をかけることです。



安いものは危険。高いものは安全。
その確率は高いです。100%ではないですが。

当然、加工食品はできるだけ避ける。
「食材」を買って、自分で調理する。



難しいことじゃないんです。



ただ、多くの人は「食費」を一番、削りたがるんですよね。

数万円のバックを買う一方で、
牛乳の10円の差額には異様にこだわる。




馬鹿か、と。(゜△ ゜)




ファッションと、健康と、どっちが大切なんだ、と。
趣味と、健康と、どっちが大切なんだ、と。

声を大にして言いたいですね。否、文字を大にして書きたい。

ためしに、食材にかけるお金を、月に2〜3万増やしてみてください。

できるだけ、真っ当なものを買うこと。
(高いからといって、霜降り肉を買うんじゃなくて)



家計が厳しければ、食費以外から削るべきです。

携帯でも、生命保険でも、服でも、旅行でも、車でも。
外食を減らすのは、一石二鳥ですね。



真っ当な食材を買うために、月2〜3万円のお金をかけること。

外食をできるだけ控えて、料理をすること。

それだけで、食の安全性はグンと高まります。当たり前の話です。




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