2008年08月31日

目指すところ

先日、テレビを何気なく眺めていたら、農業の話をやっていました。

日テレの『太田総理』に、田中義剛さん(キャラメル大王)が出ていた回です。
ごらんになった方も多いんじゃないでしょうか。
(余談だが、うちは受信できる民放が「1局」だけのため他に選択肢が無い)



日本の農業は、就業者は激減する。収入も低い。参入障壁が高い。
やりたい人はいっぱいいるのに、ハードルが高いから、みんなやれない。

でも、農業をやったら、自然のたくさんある田舎に住めるし、
とても楽しいよ、みたいなことを田中氏が言ってました。(すげー省略したが)



そこで感じたこと。

どうも「農業=田舎暮らし」という前提で、話が進んでいる。
いや、大抵はそうだから問題ないのかもしれませんが、
そうではない場合もある。これがこんがらがると、問題が出る場合もある。



普通の人(特に都会の人)にとって、
「農業」「田舎暮らし」「自給自足」、これらって、似たような意味なんですね。

「農業がしたいなぁ」
「田舎暮らしがしたいなぁ」
「自給自足の生活がしたいなぁ」

なんて会社の同僚が話しかけてきたとしても、受ける印象は似たり寄ったり。

「都会の生活に疲れたから、田舎でのんびり暮らしたいんだろうな」
という印象ですよね。この3つは、ほとんどイコールなんです。


でも、実際は違いますわな。


農業ってのは、職業。
田舎暮らしってのは、住んでいる場所のこと。
自給自足ってのは、(僕の印象では)ライフスタイルの一つ。趣味。


金(かね。かっこよく言えば経済)に絡めていえば、より分かりやすいです。


農業ってのは、収入の方法。
田舎暮らしってのは、支出の方法。
自給自足ってのは、経済的な収入・支出をできるだけ排除すること。

もっとかっこよく言えば。

農業は、プラスのキャッシュフローの話。
田舎暮らしは、マイナスのキャッシュフローの話。
自給自足は、キャッシュフローがゼロの状態を目指す話。

全く違う3つの話が、ごっちゃになっているんです。



普通の人(都会の人)が、こんがらがっている分には、別に構わないんです。
全然関係ない世界の話だし。

ただ、(広い意味での)田舎暮らしを目指そうという人が、
ここがこんがらがっていると、ちょいとヤヤコシクなります。


一体、自分が目指しているのは、何なのか。

「農業」で、収入を得ることなのか。
「田舎暮らし」で、自分の理想の支出活動をすることなのか。
「自給自足」で、経済とは関係のない世界に住みたいのか。

どれがやりたいのか、ってことです。


例えば「田舎暮らしをしたいから農業をする」というのは、
話がこんがらがっているということになります。

本来なら「田舎暮らしをしたいから田舎暮らしをする」が正しい。
または「農業をしたいから農業をする」が正しい。

本当は「田舎暮らし」がしたいのに、漠然と、無意識に「田舎暮らし=農業」
なんていう気持ちがあると、本来は別にやりたくないはずの「農業」を
してしまうことがあります。

逆に、本当は「農業」がしたいのに、「田舎暮らし=農業」の公式があると、
好きでもない「田舎暮らし」を強制させられることもあります。



中学校くらいのとき数学でやった、大きな円Aと円Bがあって、
交わっているところがA∧Bみたいなるやつ。

あの図があれば、一発で説明できるんですがね・・・
(テキスト形式メールマガジンの限界を感じる)

大きな「農業」の円と、「田舎暮らし」の円と、「自給自足」の円があって、

農業∧田舎暮らし∧自給自足の、3つが重なっているところは、
すごく狭い空間なんです。

  ○
 ○ ○  ←3つの円をもっと近づけて、オリンピックみたいにしたヤツ。
       その3つが重なった中心が、すげー狭い、という話をしている。

ですから、田舎暮らしを目指す人に言いたいのは。

あなたが目指すところは、この図(各自書いてね)のどこですか、って話です。



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posted by 加藤のどか at 10:56| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

田舎のインターネット

この10年くらいで、インターネットって、ものすごく身近になりましたね。



・・・今更何を言ってるんだ、って感じですが。

10年くらい前、はじめてネットに触れたときというのは、
一つの画像を表示するのに、何分もかかった時代でした。
(深夜のテレホーダイタイムで)

画像が、1行1行、じわじわと現われてくる。
オメェは場末のストリップ嬢か!と突っ込みたくなるような。そんな時代でした。

それが今や、動画をスムーズに見れるようになったんですから。
いやはや便利になったものです。ありがとうビルゲイツ。ありがとう孫正義。

おかげで、僕がド田舎に住んでいても、
こうやってメルマガ発行なんてことも、出来るようになったんですね。



さて。



インターネットによって、我々の暮らしはどう変わっていくのか。
なんて大それた話は難しいですから、田舎に限って言いましょう。



インターネットによって、田舎の暮らしはどう変わっていくのか。
結論から言えば、田舎の価値は上がります。都会の価値は下がります。



インターネットは、都会よりも田舎に、恩恵をもたらしています。



そもそも、田舎より都会に住みたい、と思う理由は何でしょうか。


・田舎だと仕事がなくて稼げない
・もっと刺激のある生活が送りたい
・勉強して、最先端の知識を身につけたい
・社会の中心でバリバリ働きたい
・好きなあの娘が東京に出ていってしまったから
・村八分になって田舎に住めなくなったから
・モーニング娘のオーディションに合格したから


いろいろな理由があると思いますが。
これらは、大別すると、2つのグループに分けられると思います。


・仕事のこと
・遊びのこと


田舎ではできない仕事(賃金たくさん、とか)をしたいから都会へ行く。
田舎ではできない遊び(映画館で映画を観たい、とか)をしたいから都会へ行く。

大体、この2つの理由になるんじゃないかと思います。



それがインターネットによって、どう変わったのか。



まず、仕事の面。

インターネットが普及したことによって、
「自宅で仕事をする」というスタイルが出現しました。

SOHOというやつですね。
スモールオフィス・ホームオフィスでしたっけ。違うかもしれませんが。

パソコン一つあれば、自宅で稼げる。
そういう人にとっては、仕事に関して、都会に住むメリットは無いわけです。

都会に住んでいようと、田舎に住んでいようと、収入は変わりません。

かえって、家賃のような支出は、都会のほうが多くかかってしまう。
在宅ワーカーにとっては、都会に住んでいるほうが不利なんですね。

また、完全な「社員」ではなくとも、自宅でパソコンを使って、
アルバイトをするなんてもの、出来る時代になりました。
(実際、僕もしていました。)

インターネットの使いようによっては、都会と同レベルの仕事が出来る
環境が整っているんです。



では、遊びの面はどうかというと。

10年ほど前まで、田舎と都会の差が激しかったのは「情報格差」でした。

田舎は、テレビのチャンネル数が少ない。毎朝、新聞が届く地域も少ない。


そこには、明らかな情報格差が存在していました。


しかし、この「情報」というのは、インターネットの大得意分野ですよね。
世界のどこかで発信されたニュースが、一瞬でド田舎にも届きます。

テレビのチャンネルも、インターネットによって変わりました。
以前、記事でとりあげた「ロケーションフリー」という機械を使えば、
東京と全く同じテレビを見ることができるんです。
興味ある人は「ロケフリ」でググってくれい(゜▽ ゜)

買い物だって、通販でほとんどのものが買える時代。
無料テレビ電話のスカイプなんてのも、あります。
ネットで選んだツタヤのDVDが、郵送されてくる時代です。

インターネット一つによって、遊びの面でも田舎は大きく前進しているんです。





僕が実際に、田舎に住んでみた感覚では。

「都会では出来たけれど、田舎では出来ない」ことって、あまり無いんですよ。

これは、インターネットがあったから、こそ。
もしインターネットがなければ、不満タラタラだったことでしょう。



田舎で、どうしても出来ないことは。

遊園地に行くとか。演劇を観るとか。落語を聴くとか。
ミニシアター系の映画館でマニアックな映画を観るとか。
美味しいレストランで食事をするとか。プロ野球を球場で観るとか。

その「場」に行かないと、不可能なレジャー。こりゃ田舎では出来ません。

裏を返せば、都会に住んでいながら、そういうレジャーをあまり利用しない人は、
田舎に住んだところで、遊びの面の生活は、そんなに変わらないんです。



住環境に関しては、もともと田舎のほうに軍配が上がっています。
水や空気のきれいなこと、食事の美味しいことでも、田舎に軍配が上がります。
家賃や食費などの、支出が少なくなることも、田舎が有利なことですね。


都会が有利だったのは、主に2点。
仕事の収入が高いことと、遊びの多彩さ。


その2つを、インターネットという道具がぶち壊してくれたんです。

インターネットは、田舎の強い味方です。



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posted by 加藤のどか at 10:54| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月27日

そうでないとき

おもしろい話があったので、ご紹介。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/opinions/energygakkai.htm
農業と石油に関する話です。








・・・と。

これを読んでもらったら、別に僕から付け加えること無いし、
今日のメルマガはこれで終わりにしようかな〜とも思ったんですが。

やはり、3行で終わらせてはメルマガとして成り立たないのではないかという
不安が拭いきれない臆病者のため、だらだらと書くことにしますよ。ええ。
(いつか3行記事をやってみたいという希望はある)


上のリンク先は、お堅い記事なので、
もっと分かりやすく噛み砕いてみましょうか。(執筆者の石井さんスイマセン)

懐石料理をどんぶり飯に作り直すような気持ちがしますが。では。



僕も、以前に何回か書いたことあると思いますが。
農業って、日光と水から食料をつくる仕事ではないんです。

実際の農業は、石油から食料をつくる仕事なんです。

田植機も、トラクターも、コンバインも、軽トラも、石油なしには動きません。
化学肥料だって、石油なしにはつくることが出来ません。

実際、カロリーベースでいえば、
100キロカロリーの食物をつくるのに、
100キロカロリー以上のエネルギーが必要になっているんです。

無から有を生み出しているわけでは、ないんですね。


で。


その石油が、今ピンチです。

ガソリン価格が上昇している、というレベルの話ではなく、
もう産出量のピークは過ぎたんじゃないか、あとは下り坂じゃないのか、
そういう話なんですね。

でも、何十年も前から「石油がなくなる」「石油がなくなる」と
言われていても、現在までなくならないんだから、
結局未来永劫あるんじゃねぇの石油? 的な雰囲気にもなっていますが。

いや、なくなるよ、と。

それが50年後か100年後かは知らないけれど、
石油がなくなるときは必ず来るんです。



では石油に代わる新エネルギーはないのか。

原子力やら風力・太陽光やらメタンハイドレートのような
新エネルギーがあるから大丈夫じゃねぇのか。

それも保証はできません。

結局、現代文明がほぼ「石油」をベースにしているために、
石油が枯渇した時点で何もできなくなるんですよ、と。

こういう話です。



何もできなくなるというのは、勿論、農業を含めてのこと。
石油がなくなったら、食料が生産できないんです。

そこではどういう未来が待っているのか。

例として挙げられているのが、北朝鮮と、キューバです。

両国とも、ソ連崩壊後は、石油に依存することができなくなった。

それまでは石油を豊かに使えていたのに、
農業で石油を使うことができなくなった。



この状況に対する、両国のアプローチは違いました。

北朝鮮は、石油があった時代と同じような農業をしようと思い、
立ち行かなくなってしまった。

キューバは、有機や自然農法という方向に転換し、何とかやっている。

ま、僕は実際に北朝鮮もキューバも訪れたことありませんから、
目で見て知っているわけじゃありませんが、そういう話だそうです。



では、日本農業はどうなのか、というと。

効率が悪すぎるんですね。
世界の農業に比べ、日本の農業は効率が悪すぎる。

大体、年に数日しか使わないような田植機やコンバインを、みんな持っている。

多くの農業機械は、共同で使うのではなく、
零細経営の農家が個人所有しているんです。

その機械をつくるのに、どのくらいのエネルギーが投下されているのか
考えると、効率の悪さは恐ろしいものがあります。



ま、一言でまとめるならば。


石油なくなるんだから、今の農業のままじゃ、やばいっしょ。


ってことです。懐石料理をどんぶり飯にするならば。



本文内でも引用されていますが、生態学者のロトカの言葉に

『エネルギーが豊富なときには、それを最も使う種が栄える。
 そうでないときには、エネルギー消費最少の種のみが生き残る。』


というものがあります。

「そうでないとき」は、もうすぐです。



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posted by 加藤のどか at 10:53| いろいろなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月26日

リゾートの続き

1ヶ月くらい前でしたかね。

田舎暮らし用に、大規模に「町」を宅地開発したようなところは、
30年くらい経ったら、次世代もいないし、滅びちゃうんじゃないかと。

そんなことを書きました。

これですね。過去ログは↓
http://archive.mag2.com/0000246354/20080717114500000.html?start=20



今日は、その続きです。



30年後に「滅びた集落」が出来るんじゃないかと書きましたが、
期せずして「滅びた集落」を目にすることがありました。

そこはたぶん、バブルの時代に開発されたリゾート地だったのでしょう。

高原地帯に、テニスコートやプールがあり、
何軒もの(合計100軒近くあるのかな?)別荘が立ち並んでいるところです。

その当時は、皆が夜な夜なパーティーでも
開いていたんじゃないのか、と思われるほどの豪奢な空間でした。



それが今では。



人っ子一人いなくなり、売り看板が立てられた別荘が並んでいます。

当時は数千万はしたであろう別荘も、数百万円の価格で売られています。

道はボロボロになり、雑草が侵食し、家は風雨にさらされ、
ゴーストタウンとはこのことか、と思わせる風情です。

何があったのかは知りませんが、現状はそのような景色でした。



そこは、もともと何もなかったであろう高原地帯に、
麓から続く数キロの道を開発し、電気を通し、上下水道を完備し、
まさに「町」をつくりあげていたんですね。

それが、おそらくは10年もたたないであろううちに、滅びています。



うちの近く(高知県の山間部)にも、滅びた集落はたくさんありますよ。

でもそれは、昔ながらの集落が、高齢化で滅びたもの。
通勤や通学に不便だということで、徐々に人がいなくなっていった。
いわば「老衰」によって、集落が死んでいるんです。

でも、リゾート開発した町の死は、違います。
病気による死、という感じでもない。生まれ方自体が自然じゃないですから。

手塚治虫さんの『火の鳥未来編』に、
人工生命をカプセルの中で育てても、外界に出したとたんに死んでしまう、
という描写がありますが。そんな死に近いような、集落の滅び方です。


町も、生き物なんですよね。


1ヶ月前にも書きましたが、今、
「田舎暮らし」用にリゾート開発し、「町」を作り出しているところは。

やっぱり、そう長くは生き続けない気がするのです。

たしかに、昔ながらの集落に入っていくよりも、
リゾート開発されたところに入っていくほうが、簡単なんですけれど。

人が入りやすいところは、離れやすくもあるということです。



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(クリックしたところで、答えは出ませんが)
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2008年08月25日

オリンピックと脳味噌

閉会式も終わったことですし、オリンピックの話でもしましょうかね。


陸上の100メートルで、ボルトさんが世界新記録を出しました。
200メートルでも、従来の世界新記録を更新し、
おそらく、今回のオリンピックで一番の話題だったんじゃないでしょうか。

ここで「9秒68スゲエ」とか「人間業じゃねぇ」というテンションで
書いても、あまたのブログと同じテイストになってしまうので、
違う視点からこの話題を眺めてみることにします。



なぜ、人間はそれほどまでに速く走りたいのか。
というか、速く走るということに、なぜそれほどまでの価値があるのか。



ボルトさんが、100メートルを10秒で走ろうが9秒で走ろうが、
我々の生活には何の影響もないわけです。

もし、ボルトさんがテレポーテーションのやり方を会得して、
それを我々に伝授してくれるというのなら、大ニュースになるのも納得です。

僕も教えてもらいたいです。

だけど、ボルトさんが100メートルを9秒68で走ったところで、
僕が9秒68で走れるということじゃない。

いや、もし僕が9秒68で走れるとしても、走りませんよ。車あるし。

ボルトさんが100メートル走で9秒68の世界新記録を出したということは、
実際の我々の生活には、何ら影響のないことなんです。



では、ボルトさんの記録というのは、どういう点で価値があるのか。

それは、夢を与えてくれること。

夢というのは、NHKのファックスのような
「勇気をもらいました!」系のものではなくて。

結論からいえば、身体からの開放の夢、ということです。



9秒68で走れるなら、9秒50で走れるかもしれない。
もしかしたら、人間は8秒、7秒、6秒・・・と、走れるかもしれない。
新記録を出したということは、限界点が見えないということ。

心のどこかで、無限への夢を見ることができるんです。



心のどこかといいましたが、脳味噌が見る夢ですね。

脳味噌は、我々が100メートルを9秒で走れるんじゃないかという
夢を見ているんです。その夢に、頑張って身体を近づけているんですね。

脳味噌が見る夢に理由はありません。限界もありません。

「100メートルを9秒で走りたい」というのも
「有名なタレントになりたい」というのも
「無差別に人殺ししてぇ」というのも
脳味噌が見る、理由のない夢なんですよね。
反論覚悟でいいますが、これら3つは同レベルの夢なんです。
(おなかがすいているときに「食べたい」と思うのは、別レベルの夢ということ)

無限という意味では、究極的には、瞬間移動が出来ることを夢見ているんですよ。
夜に見る夢の中では、瞬間移動していますよね、自然に。

家を出たと思ったら、学校にいたりする。
脳味噌はそういうことを考えていて、現実でも、それを行いたいんです。



僕はドリトル先生じゃないから知りませんが、
たぶん、動物はこんなことを思わないんじゃないでしょうか。

ゾウは100メートル8秒くらいで走れるらしいですが、
それを7秒に縮めよう、6秒に縮めようとは、思っていないでしょう。

6秒に縮めて、何の得があるわけでもないし。



脳味噌の見る夢を実現する過程を、普通は「進歩」と呼んでいます。
しかし、見方を変えれば、それは「迷走」でもあるんです。

なぜなら、決して叶うことのない夢だから。

なぜ叶わないのかというと、我々が人間だからです。

脳味噌は手前勝手な夢を見ますが、
その脳味噌は鈍重な身体なしには生きられない臓器です。

身体の一部である脳味噌が、無限を夢見ている。
そこで身体を正しいと思うのではなく、無限を夢見る脳味噌を正しいと思い、
一生懸命、夢見るような身体に近づく努力をする。


矛盾している「身体」と「脳味噌」。どちらをとるのか。
身体派になるか、脳味噌派になるかで、文化は大きく変わります。

世界の文化の99%は、脳味噌派です。

これは、脳味噌派が正しいということではなく、脳味噌派は「進歩」するから
強いんですよ。身体派は進歩しないんです。あるがままを受け入れるから。

戦ったら脳味噌派が勝つから、世界の99%が脳味噌派になっているんです。


でも、どちらが正しいということもない。お互いに自分は正しいし、根拠もない。


そんな脳味噌が、鈍重な身体を制服するための努力の一つが、オリンピックです。

100メートルを9秒68で駆け抜けるボルトさんを見て、
我々は、一時的にでも自分の鈍重な身体を忘れることができる。夢を見れる。



有限の身体を背負う中で、脳味噌の見る無限の夢を追う努力とは。

進歩なのか、迷走なのか。


















ドッチ?(関口&三宅)



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2008年08月24日

理想郷

自分が何を欲しているのか。

それを知るのは難しいです。


このメルマガは田舎暮らしメルマガですから、それに則して言えば。

自分が、どんな土地に住みたいと思っているか。

それを知るだけでも、とても難しいことだと思います。


例えば、僕の場合。

都会に住んでいるときに「田舎に住みたい」という思いを抱きました。

でも、その時点では「田舎に住みたい」とは思っていても、
「海際の漁村に住みたい」のか
「田畑に囲まれた農村に住みたい」のか
「森の中にある小さな山村に住みたい」のかは、分かっていませんでした。



漠然とした希望はありましたよ。

その時点では、海際がいいなぁと思っていたんです。魚が好きだから。

でも、実際に数々の田舎を訪れてみると、どうもピンと来ない。
小さな漁村を見ても「こんなものかなぁ。まあ、東京よりはいいけど」
というぐらいの感想だったんです。

僕の場合は、ひょんなことから、
当初は訪れる予定のなかった高知県山間部の町を見ることになり、
そこで「求めていたのはここだ」という感覚があったので、住んだんですが。

その感覚も、移住して2年もたつと、違和感を覚えてきます。

僕は、もっと標高の高いところが好きだし、
もっと山の中のほうがいいし、田畑に囲まれていないほうがいい。

環境が変わることによって、
自分では気づいていなかった希望が顔をのぞかせてくるんです。



つまり。



日本全国(主に西日本)の田舎をめぐってみたり、
実際に高知県の山の中に2年ほど住んでみたり、
そういった経験があった上で、今、はじめて「こういうところに住みたい」
という具体的な希望が、顔をのぞかせてきたところなんです。

じゃあ、この希望は2年間のうちに、
種から芽が出るように育ったのかというと、そういう感覚じゃない。

もとから心の中に存在していたけれども、
あることに気づいていなかった、という感覚に近いものです。

2年間、田舎にいることによって、
自分の中にそういう希望があるんだと気付いてきた、というほうが正確ですね。

当然、今、僕が思っている希望が、本物かというと、そうとは限らない。
本物かもしれないし、本物じゃないかもしれない。

そもそも、本物の希望なんてものは無いでしょうが、
少なくとも、僕が死ぬまで勘違いしていられるだけの希望を「本物の希望」とでも
言うならば、それに近づいてはいる。そういう感覚ですね。



ややこしい話ですいません。日曜日だというのに。



また田舎暮らしの話に例えますが。

たとえば、今、あなたが「こんなところに住みたいな」と思っている田舎像。
それは、たぶん、本当に求めているものとは違う形のものです。

多くの人は「こんなものかぁ」の地点で、満足してしまう。

でも、そこより先に進むことによって。

もっと貪欲に、もっと広く、もっといろんなものを見知ったほうが、
より、正しいものに近い判断が出来るだろう、ということ。

妥協しないほうがいい、ということです。



一言で言うならば「できるだけ多くの土地を見たらいいよ」
というだけなんですが。

決して、理想郷にはたどり着かないんですよ。何にしても。

でも、1を理想とするならば。

ほとんどの人は、0.5にもたどり着いていないと思うんです。
本人の自覚があるなしに関わらず。

1が理想で、今までの生活が0.1ならば、
0.3くらいになったところで、妥協してしまう人が多い。

そうじゃなく、1には決して届かないと分かりながらも、
0.8→0.9→0.95と進んでいきたいものです。



数学的には、0.99999・・・は1と同義だという救いもあります。



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タグ:理想
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2008年08月22日

田舎の車選び

都会の車はステータス。田舎の車は靴代わり。

田舎に住むのなら、ましてや農業をしようというのならば、車は必須。
(唯一、農業に資格が必要だとしたら、自動車免許です)



でも、どんな車を選べばいいの?

そんな悩みを抱く皆様のための、間違いだらけの車選び。田舎編です。



まずは大前提から。

田舎の車の基本は、軽。軽自動車です。
目にまぶしい黄色ナンバー。白ナンバーなんて素人。
ましてや3ナンバー(大型車)なんていったら、目もあてられません。

田舎の道路で、道行く車をながめてください。

トラックなどの商用車を除けば、半分以上が軽自動車です。
(いや、うちの近くはそんなに軽自動車じゃない、という方。
 それは、あなたの住んでいるところが田舎じゃないということ)


なぜ軽自動車がいいのか。


まずは、維持費の安さですよね。
田舎では、大人の人数分、車を所有するのは当たり前。

お父さんの車、お母さんの車、おじいさんの車、おばあさんの車、
1家に4〜5台の車があることも、珍しくありません。

なんたって、田舎の車は「靴」がわり、なんですから。
車がなければ、買い物にだって行けません。

ですから、維持費の安さは魅力的。

1台だけなら、そこまで変わらない差でも、
4〜5台集まれば大きいですからね。



そして、もう一つの理由。

軽じゃないと、道ですれ違いにくい、ということもあります。

田舎の狭い道を走っていると、お互いに譲り合わなきゃ
いけないことなんて、当たり前。

そんなとき、相手が3ナンバーの大型車だったら、大変です。
お互いが軽自動車に乗っていたら、軽くすれ違えるってモンです。

田舎では、軽自動車。
まず、これは基本ですから、覚えておいてください。テストに出ます。



さて。



では、軽自動車の中の、何を選べばよいのか。
これは、何台の車を持つか、によっても変わりますね。

1台だけならば、おすすめは軽のワンボックスカー。
いわゆる箱バン、ってやつです。

町で運転するもよし、畑仕事に使うもよし。
オールマイティーな能力を発揮する、頼もしき直方体野郎です。


もし2台以上の車を持つのであれば、
そのうち1台は、ぜひ「軽トラ」をおすすめしたい。

田舎の半分以上が軽自動車だといいましたが、
その軽自動車の半分以上は軽トラです。田舎人は軽トラを持っていて当たり前。

慣れると本当に便利なヤツです。
草刈機でも、小型トラクターでも、何でも運ぶ頼もしきスーパー実用車。

さすがに箱バンでは、小型トラクターは運べませんからね。
農作業をしようというのであれば、軽トラは必須のアイテムです。

田舎では、車は「靴」がわりだといいましたが、軽トラはサンダルがわりです。
(もしくは長靴がわり)



「でも軽トラはマニュアルでしょ・・・心配ですぅ・・・」
なんて嘆くお嬢さん(19歳)。心配ありません。

最近は、オートマの軽トラも出ていますし。
ま、ぶっちゃけ、山の中で3日ほど練習すればマスターできます。
マニュアルを会得して、軽トラライフを満喫してください。お嬢さん(19歳)。



ここで注意してほしいのが。



必ず、四駆(4WD)を選ぶこと。
田舎では、四駆以外の車は役に立ちません。

舗装されていない道が、まだかなり残っていますからね。
そんな道を雨上がりにでも走ろう日には、すぐにぬかるみに捉われます。

四駆じゃないと、まともに走れもしない。これは田舎道の常識です。



そんな悪路だったら、ランドクルーザーみたいなほうが、いいんじゃないか。

そう思う方もいるかもしれませんが。

四駆の軽トラでは走れないけど、ランドクルーザーなら行ける。
そんな道は、既に道ではありません。

ああいうのは趣味の世界です。
実用を考えるのであれば、四駆の軽トラで十分ですね。




と、いうことで。
田舎の車選び、ご理解いただけたでしょうか。




では、最後に確認テスト。


あなたが田舎に移住する際に。
うっかり、湖に車(日産のマーチ)を落としてしまったところ、
湖から女神様が出てきて、問いかけました。


【女神】あなたの落とした車は、どれですか?
(馬鹿そうな女神なので、どれでも答えたものを貰えるという前提で)

・ホンダのアクティ(軽トラ・四駆)
・日産のマーチ(2駆)
・トヨタのエスティマ(2駆・ハイブリッド)

さて、あなたならば、どう答えますか?














正解は、
「トヨタのエスティマをもらっておいて、
 中古車屋に売って、その金でホンダのアクティを買う」です。

もらえるものは、もらっておきましょう。



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2008年08月21日

マリーゴールド

最近、一気に気温が下がり、秋の気配が顔をのぞかせています。

そんな季節に道を歩いていると、
オレンジ色の花が咲いているのを、目にすることができます。


マリーゴールドです。


(うちの周りだけかもしれませんが)田舎道には、マリーゴールドが多いです。

道端、花壇、田んぼの脇、畑の周り、
いたるところでオレンジ色のマリーゴールドを目にします。

これは、ただ「キレイだから」という理由で植えているのではなく、
ちゃんとした理由があります。
(勿論、キレイだから植えているという人も多いでしょうが)



マリーゴールドという植物には、線虫を寄せ付けないという効果があります。

線虫とは何か。

土の中に莫大な数がいる、微生物というか、虫というか。
線虫のうち何種類かは、野菜などにつく害虫として知られています。

ダイコンやニンジンのような根菜類につく線虫。
大豆につく線虫なんかも、有名です。

また、線虫の中には、人間の身体に寄生するものもいます。

寄生虫というヤツですね。

回虫や、子供のころお尻にシールをはったギョウチュウなんかも、線虫の一種。

こういった、人間の生活に害を及ぼす線虫を寄せ付けないという効果がある為、
マリーゴールドは、広く植えつけられているという面もあります。



道端にただ咲く花でも、そこに何らかの意図がある場合が多いです。



彼岸花なんてのも、そうですね。
秋の彼岸のころ、一斉に赤い花を咲かせる彼岸花。曼珠沙華ともいいます。

彼岸花も、ただ植えられているのではなく、意味があるものです。

彼岸花は、根に有毒物質を含んでいるために、
モグラだとかネズミ、さまざまな虫を寄せ付けない効果があります。

マリーゴールドと同じような、虫除けの効果ですね。

彼岸花は、田んぼの畦道や、お墓でよく見かけますが、
これは、まさに虫除け効果を狙ったもの。

昔の日本は土葬でしたからね。
遺体がモグラやネズミに荒らされるのを防ぐために、彼岸花をお墓に植える。
また、水田の畦に穴を空けられ、水が抜けるのを防ぐために、畦道に植える。



そういう使い方をしていたんですね。



道端の雑草も、ひょっとしたら、昔々に誰かが何かのために植えたもの。
その末裔かもしれません。



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posted by 加藤のどか at 10:55| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月20日

野菜の選び方

メールマガジンの鉄則というか、基本というものがありまして。

それは「役に立つ知識」を書くことだそうです。(ものの本によると)

一つの記事の中に、どこか一箇所でも、
日常生活に役立つような知識があれば、人気メルマガになるらしいですね。


ふむふむ。


例えば、
「きょうのおすすめレシピ」だとか
「新聞の記事ピックアップ」だとか
「明日上がる株はこれ!」なんていうのは、
直接的に役に立つから、メルマガの王道なんですね。


ふむふむ。


ひるがえって、自分のメルマガを読み直してみました。




・・・どうも、役に立つ知識というのが無い。
・・・イノシシが田んぼに出たとか、どーでもいいこと書いている




これはいけないっ!メルマガの鉄則に反している!
ということで、今日は役に立つ知識を書いてみようと思います。



役に立つことねぇ・・・(゜△ ゜)うーむ(思考中)



僕が、読者の皆さんより多少なりとも詳しいといえば
「農業」や「田舎」のことなんですが、遠い世界の話ですからね。

「役に立つ」ってのとは、ちょっと違います。
もっと直接的に役立つ知識を書いてみたい!(せめて今日だけは)



農業に関して、皆さんの日常生活に近いところでは・・・
「スーパーでの野菜選び」これでしょう!

多少なりとも農業を知った上で、
僕が東京のスーパーで主夫として野菜を買うならば、どんな基準で選ぶのか?

役立ちそうでしょう?読みたくなるでしょう?(少しは)

なので、例によって思いっきり「主観」で、
どうやって野菜選びをするか、書いてみましょう。





まず前提として。

外国産のもの。これは、よほどのことがない限り、買いませんね。
ここ1年くらいで買った外国産のものは、アボカドとバナナくらい。
(だって国産のものが無いんだもの)

それもできるだけ、防腐剤不添加のようなものを選びます。

農薬の何が怖いって、栽培中のものは、大して心配していないんです。

問題は、ポストハーベスト。

収穫後に、野菜が腐らないように添加する薬ですね。これが嫌。
外国産のもの、すべてにポストハーベストが使われているとは
思いませんが、わざわざ好んで買うこともありません。

なので、まずは外国産を除外します。

中には「外国産の有機」っていうのも、ありますよね。
JASマークがついていて、中国産のやつとか。

僕は、これも買いません。

JAS有機の認証をとっていても「使っていい農薬」というのは、あります。
認可された幾つかの農薬は、使用を許可されているんですね。

実態は知りませんよ。
外国でどんなふうに作っているか、なんて。

ただ、実際に使用農薬や使用肥料を100%把握できるのか?と思うと、
どうも怖いんですよ。繰り返しますが、実態は知りません。

外国産の野菜というのは、
国産のものが無い場合じゃなきゃ、買うことはありませんね。



さて。



では、国産のものは、どういう基準で選ぶか。

まず絶対に買わないものが、キノコ類。これは買わない。
唯一買うのが「原木シイタケ」。

キノコは、大きく2種類に分けられるんです。

「原木(げんぼく)」といって、直接、木(丸太)から生えているやつと。

「菌床(きんしょう)」といって、
おがくずなどに薬剤&肥料を添加したもので育てたキノコ。

シメジ・エノキ・エリンギ・ナメコなどは99.9%が菌床。
シイタケは7割くらいが菌床で、3割くらいが原木です。

僕が買うのは、原木シイタケだけです。

菌床ものは、薬が嫌だとかどうこうよりも、まずい。何だか変な味がします。
僕が「変な味」と感じるのが、添加物によるものなのか、どうかは知りません。

が、変な味がするので買いません。菌床キノコは。



買わないものばかりを書いてしまいますが。。。

あと買わないのは「葉物野菜」。

葉物(はもの)野菜というのは、キャベツ・レタス・コマツナ・ホウレンソウ
などの「葉っぱ」を食べる野菜ですね。

絶対買わない、というわけじゃありませんが、ほとんど買いません。

農薬べったりだと嫌、ということもあります。
特にキャベツは農薬使用量が多いので、あまり好きじゃないですね。

最近は水耕ものもありますが、
栄養もそんなに無いし、わざわざ食べるほどでもないので。

買わない、というよりも、わざわざ食べない、
といった感じのものですね。葉物野菜は。



・・・買わない買わない買わないと、じゃあお前は一体何を買うんだよ、と。

一番利用するのは、地元野菜コーナーみたいなやつ。あれですね。

東京のど真ん中のスーパーでは、なかなか見かけないでしょうが、
ちょっと郊外ならば「近所の○○さんが作りました」みたいな、
地元野菜のコーナーがあると思います。

あれですね、買うのは。(もしくは自分でつくる)

ちょっと見た目は悪いし、有機認証なんかとってもいない自己申告制ですが、
地元野菜のほうが信頼がおけます。

大体、スーパーの直売コーナーに少しだけ野菜を出すような農家は、
おじいちゃん・おばあちゃんが小規模にやっているところが多いですから。

わざわざ農薬なんか使わないんですよ。農薬は高いし。
(化学肥料は結構使っていると思いますよ)

一番のおすすめは、直売コーナーで買うことです。



では、地産池消ではない、大産地のものは買わないのかというと。

そんなことはありません。

結構買うのは、地面の下にあるやつと、実野菜。

地面の下にあるものとは、イモ類・ダイコン・ニンジンなどなど。
実野菜とは、トマト・ナス・ピーマンみたいなやつですね。

特に、地中にあるものは、直接農薬散布するはずないですから、
かなり安心して買うことができます。国産限定ですが。


おまけ。

野菜ジュースは絶対買いません。中身が怖いから。
フルーツジュースも、出来たら避けたいですね。
高いけれども、普通の果物を買ったほうがマシです。

というか、健康のために野菜ジュースを飲もうとしているなら、
飲まないほうがいいですよ。アルプスの天然水でも飲んだほうがいいです。

もひとつおまけ。

有機無農薬かどうかは、ほとんど気にしません。
名ばかりの有機無農薬があることも知っていますし、
適切な農薬使用ならほとんど害が無いこともわかっていますから。
それより「新鮮さ」のほうを重視しますね。





・・・まとめましょうか。


まがりなりにも農業をかじった結果。
現在の僕がスーパーの野菜売り場で買うものと買わないものは。


【買うもの】
地元の直売コーナー・地中にできる野菜・実野菜・原木キノコ・果物

【買わないもの】
海外産・葉物野菜・菌床キノコ・野菜ジュース


以上、役に立つ(かもしれない)知識を書いてみました。



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posted by 加藤のどか at 10:46| 食べ物のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月19日

田舎暮らしとは、どういうことか

今日は、基本的なことを改めて振り返ってみます。


「田舎暮らし」とは、何か。


都会から田舎へ、移住することですよね。
もともと田舎に住んでいる人は「田舎暮らし」をしている、とは言いません。

「田舎暮らし」という言葉の中には「移住」という意味も含まれています。
「移住」という観点からいえば、4種類の人間がいるんです。


まず、出身が田舎であるか、都会であるか。
そして、現住所が田舎であるか、都会であるか。


・田舎出身で、田舎に住んでいる。
・田舎出身で、都会に住んでいる。
・都会出身で、都会に住んでいる。
・都会出身で、田舎に住んでいる。


誰でも、この4種類のどれかに、当てはまるわけです。


さて。


この4種類の方々を考えたときに。
最も人口が少ないのは、どれだと思いますか?

まあ、何の証拠もありませんが、おそらくは
「都会出身で、田舎に住んでいる」人々でしょう。

だって
「田舎出身で、田舎に住んで」いても、
「都会出身で、都会に住んで」いても、
「田舎出身で、都会に住んで」いても、変わり者ではありませんが、

「都会出身で、田舎に住んで」いたら、変わり者ですから。少数派です。

そして、唯一名称があるのが「都会出身で、田舎に住んでいる人」。
この人たちは「田舎暮らし」をしている人です。

他の人には、名称がありませんよね。
「田舎出身で、都会に住んでいる人」を示す言葉は、ありません。

珍しくないから、言葉がないんです。



では。


この「住んでいる」を「好き」に変えたら、どうなるでしょうか。


・田舎出身で、田舎が好き。
・都会出身で、都会が好き。
・田舎出身で、都会が好き。
・都会出身で、田舎が好き。


こうなると「どっこいどっこい」という感じになりませんか?


「都会出身で田舎が好き」だからといって、変わり者のイメージはありません。
4種類どれであっても、個人の好み、といった具合です。


さて。

「好き」という観点から見た、4種類の方々のうち。

田舎出身で、田舎が好きな人は、いいですね。そのまま住めばいいんですから。
都会出身で、都会が好きな人も、問題ありません。そのまま住んでください。

田舎出身で、都会が好きな人。
こういう人が都会に住むには、いろんな手段があります。

大学進学のときに都会へ出てくるとか、就職で出てくるとか。
アパートを借りるのだって簡単です。



問題は。

都会出身で、田舎が好きな人。



こういう人が、田舎に住むのは、難しいんですよね。
希望者はいる。だけど、現実に希望を叶えられる人は、少ない。

だからこそ
「都会出身で、田舎が好きな人」は「普通の人」ですが、
「都会出身で、田舎に住んでいる人」は「変わり者」になるんです。



では、田舎に住むことの、何が難しいのか。



田舎には不動産屋もなければ、仕事もない。だから暮らすのは難しい。

ま、僕も都会に住んでいるころは、そう思っていました(遠い目)。

だけど、違うんですよね。
だって、田舎に住んでいる人は、現実にいるんですから。

田舎には不動産もあるし、仕事もある。じゃなけりゃ、住めません。
ただ、その情報が、都会人には入りにくいだけなんです。
(当然、グーグルで調べたって出てきません)


ルートが無いんですよね。情報が無い。


情報がないから、都会から田舎への移住は難しく、
少数派になるからこそ、「田舎暮らし」という言葉も生まれるんですね。



そう考えると。



昔(戦前くらいまで)は、移住はそんなに盛んじゃなかったでしょうし、
「田舎出身で、田舎に住む」と「都会出身で、都会に住む」人のみで、
その後に「田舎出身で、都会に住む」が、続々と現れたんですよね。

昔は「田舎出身で、都会に住む」人が、珍しかったはず。
そのときには、「都会暮らし」に当たるような言葉があったはずです。
(よく知りませんが「金の卵」「かっぺ」とかも、そのたぐいですかね。)

そして、田舎から都会へ移住することが、当然のこととなったとき、
言葉は役目を果たし終わり、なくなっていったんでしょう。

車・クーラー・テレビが当たり前になったときに
「3C」なんて言葉がなくなったように。



だから、何年か後に。



都会から田舎へ移住するのが、当たり前のことになったとき。
つまり「田舎暮らし」という言葉が消えたときにこそ。

本当に「田舎暮らし」というライフスタイルが定着した、ということです。



田舎暮らしという言葉がある限り、田舎暮らしは定着していないんですね。



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タグ:田舎暮らし
posted by 加藤のどか at 10:44| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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