2008年06月19日

田舎暮らしは大変?

こんなメルマガを発行してますと、たまに、田舎暮らし希望者の方から
相談のメールをいただくことがあります。

発行しはじめてから、両手両足の指では数え切れないほどの
相談メールをいただきました。


そんな中で一番多い質問が、人間関係に関すること。


「田舎での人間関係は大変だと聞くけれど、苦労しませんか?」
みたいな問いですね。

まあ、僕の例を話したところで、
それはある地方のある人物における一ケースだというだけで、
普遍性のあるものではないんですが。

それでも何らかの参考になるかもしれませんので、ちょっと書いてみます。



メルマガの雰囲気を見ていると大抵分かるでしょうが。

田舎での人間関係、全然苦労していません!


たしかに、都会にいるときに比べたら、
知り合いはものすごく増えました。近所づきあいもあります。

でも、それが「苦労」かというと、んなこたぁない(タモさん)



あえて嫌なことを挙げるとすれば、田んぼで何かやっているときに、
通りかかったオジサンが勝手に指導を始めるのが鬱陶しい、
それも以前に聞いたことをリピートしてくるのが鬱陶しい、というくらいです。

あと、やっぱり田んぼで、通りかかった人と話しはじめたら、
そこから昔話が延々とはじまり、1時間くらいノンストップトークというのも、
なかなか鬱陶しいことですね。(しかも半分以上は方言なので解読不明)



あとは・・・

半強制的に参加しなきゃいけないものは、農協の会合(という名の飲み会)
くらいですが、年に数回だけですし、別に嫌なわけじゃありませんし。

高知というと、週に10回くらい宴会しているようなイメージが
あるかもしれませんが、実際はそんなものですよ。
飲み会の数でいえば、東京の会社のほうが、はるかに多いでしょうしね。



うーん、あとは・・・

隣近所のおばさんからも野菜をもらうくらいだし・・・
しかももらうばっかりでお返しなんて全然してないのに、またくれるし・・・



あとは・・・思いつかない・・・

あまり参考にはならないと思いますが、僕の事例だとそんなものです。
田舎の人間関係で嫌なことというのは、今のところ一切ありませんね。



ただ、注意しなきゃいけないのは、一口に「田舎」といっても、
いろんな田舎があるということです。

移住者(よそ者)を受け入れやすい土地かどうかというのは、
かなり差があると思います。

僕は、高知に移住する前に、いろんな田舎をめぐったのですが、
高知はかなり「受け入れ度」の高い地域であり、
それが移住の後押しになったことも、確かです。


具体的な地名は言えませんが、排他的な田舎だってありますから。

僕が勝手に感じている傾向としては、
海際のほうが山奥よりも受け入れやすく、
南のほうが北よりも受け入れやすいという傾向にあると思います。
(あくまで、実体験から感じるだけのこと。根拠は無し!)

もし何も知らずに、排他的な土地に移住してしまうと、
「田舎の人間関係は大変だ」ということになるでしょう。



ですから、結論としては。



「田舎の人間関係は大変?」と問われても、
移住する土地の性格、そして、移住者自身の性格によるという、
何ともツマラナイ結論になってしまうのです。



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posted by 加藤のどか at 17:23| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月18日

石を食べる

中国の四川大地震。

今日は、地震が及ぼす、日本の食卓への影響について書きたいと思います。



四川の野菜や食肉は、直接には日本に輸入されていないため、
日本の食卓に与える影響は少なそうです。

また、中華料理の材料は、四川省以外で代替できそうなので、
これも問題ないでしょう。

しかし一つ、日本の食卓に多大な影響を及ぼすものがあります。



リン鉱石。



リン鉱石というのは、化学肥料の原料です。
そして、日本はリン鉱石の多くを、中国から輸入しています。

その中国のリン鉱石の一大産地が、地震が起きた四川省。
地震の影響で、リン鉱石の採掘はストップしています。

そして先月、中国は、国内の需要を満たすために、
リン鉱石に大幅な輸出関税を上乗せすることを決めました。

事実上、輸出をストップするということですね。
日本に、中国産のリン鉱石は入ってこなくなるのです。

これが、どのくらい重要なことか、
ほとんどの人は気づいていないんじゃないでしょうか。



化学肥料無しには、今の日本の農業は、成り立ちません。



ちなみに、化学肥料の三大成分、
つまり植物の三大栄養素というのは、「リン」「カリ」「窒素」です。
人間でいうところの
「炭水化物」「タンパク質」「脂質」みたいなものだと思ってください。

そして「リン」「カリ」「窒素」のうち、
最初に枯渇するだろうと言われているものが「リン」なのです。
三大栄養素のうち、もっとも、入手するのが困難なのが「リン」です。

地球上に存在するリン鉱石は有限です。

今回の地震で、リン鉱石が事実上輸入できなくなったということは、
日本への影響では一番の大ニュースだと思うのですが、
ほとんど報道されていないようです。
(ま、たぶん、意図的に報道していないということなんでしょうが)



それにしても、日本の食糧が、化学肥料によって成り立っているという
ことを、どれくらいの人が意識しているんでしょうか?

もし、日本人の大半が、米の原料が「リン鉱石」だと認識していれば、
四川大地震には消費者も敏感に反応するし、マスコミが隠そうとしても、
もっと大問題になると思うんです。
(例えば、アラブの油田で事故がおきたら、誰でも、自分の生活に
 直結して考えますよね。でも、リン鉱石ならば、誰も連想しないんです)



米は「水」と「太陽」でつくられるのでは、ありません。
米は「化学肥料」と「石油」によってつくられるのです。



遠い国のカリ鉱石、リン鉱石から肥料をつくり。
窒素は、莫大な電力によって精製し。そうして作られて肥料で、米を育てる。


トラクターも田植え機もコンバインも石油で動きます。

輸送する車もガソリンで動きます。

電気無しには、ごはんを炊くことも出来ません。



食卓にのぼる白いごはんの原料は、
「リン鉱石」「カリ鉱石」「石油」といった「石」です。

しかし、白いごはんを目の前にして、この原料が「石」だと
気づいている人が、どれだけいるでしょうか?



日本の米は、石によってつくられている。

その良し悪しは別にして、現実を知ることは必要だと思います。
とりあえず、四川地震によって、日本の農業はピンチになると思います。



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2008年06月17日

加賀太キュウリ

2〜3年前でしょうか。

佐藤浩一さんが出演しているキリンビールのCMで、
太いキュウリをかじりながら、ビールを飲むというやつがありました。

http://www.kirin.co.jp/about/toku/ad/IS/
(動画は無いですけれどね。これの下のほうで紹介されてます)

「おいおい、ビールにキュウリは合わねえだろう」という突っ込みはさておき。



このCMに出ていたキュウリ。

これは「加賀太キュウリ」という、石川県の伝統野菜なんですが、
このCMで火がついて、一躍全国区の知名度を獲得し、
今や東京のスーパーでも普通に見かけるほどです。



・・・ということだけを聞いたら。

「へえ、昔からの野菜にスポットライトが当たるのはいいことだね。
 太いキュウリなんて珍しいし、伝統野菜への需要もあったんじゃないの?」

なんて感想が出てきそうですが。



実は、この「太キュウリ」なるもの、加賀以外にも、いくらでもある野菜です。
「加賀」太キュウリだけでなく、日本全国に「太キュウリ」は、あるのです。

僕の住んでいる高知県山間部にもありますし、
愛媛のほうでも見かけたことがあります。

でも、今や「太キュウリ」といえば「加賀太キュウリ」のこと。
商品自体の差はほとんど無いのに、ブランド力では大きな差がついているのです。



何故、加賀太キュウリがブランド構築できたのに、
他の太キュウリは、今も日の目を見ぬまま埋もれているのでしょうか。



もしかしたら、マーケティングとかブランド構築の過程において、
すばらしい事業が成されていたのかもしれませんが、
それは僕にはトント分からぬことですし。

しかし、ただ一つ、確実なことがあります。



加賀の人は、太いキュウリが売れると思い、
加賀以外の人は、太いキュウリが売れるなんて夢にも思わなかった。

まず、すべての始まりは、ここからですよね。



何年か前までは、加賀太キュウリも、ただの田舎野菜でした。
しかし、加賀に住む誰かが、このキュウリが1本400円で
売られているところを、夢見たのでしょう。

一方、ほかの田舎に住む人は、
誰も、そんなキュウリを売ろうなんて思わなかったのでしょう。



東京のスーパーで、加賀太キュウリは400円で売られています。

一方、僕の家の近くの産直市場では、加賀太キュウリと
ほとんど変わらぬ姿の太キュウリが、1本50円で売られています。



加賀の人が、どういう道のりでブランドを築いていったかは知りません。
でも、最初の分かれ道は、誰かが夢見たことだったのでしょう。

田舎には、昔の加賀太キュウリのような、
誰も見向きもしない伝統野菜なんて、ごろごろあります。

今は畑に捨てられているような野菜が、
東京の高級スーパーで売られている姿を夢見る。
そこから、また何かが始まると思うのです。




【おまけ】

ビールのCMでは、生のキュウリをそのまま齧っていましたが、
太キュウリは(勿論、加賀太キュウリも)、生で食べるものではありません。
加熱して煮込み料理にするか、漬物にするものです。
生で食べるのならば、普通のキュウリのほうが美味しいと思います。
俳優さんも大変ですね。



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posted by 加藤のどか at 17:18| 農業のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月16日

なぜゴキブリは嫌われる

「嫌いな虫」第1位といえば、ゴキブリの指定席。
古今東西、老若男女を問わず、嫌われている昆虫です。

でも、危険度でいったら、ゴキブリよりも嫌な虫なんて、いくらでもいます。

最も多くの人を殺している昆虫はスズメバチですし、
ムカデ(昆虫じゃないけど)に噛まれたら激痛が走りますし、
蚊に刺されたら痒い上に、伝染病を移されることだってあります。

危険度でいえば、ゴキブリよりも遥かに上の彼らをさしおいて、
ゴキブリが嫌われ度ナンバーワンを守り続ける理由は何か。

今回の「都会育ちの田舎暮らし」は、ゴキブリの不思議について探ってみました。
(以上の文章は、ためしてガッテンのアナウンサーの声で脳内再生してください)





ゴキブリが嫌いな理由として、よく挙げられるのは

「不潔」
「病原菌を媒介している」
「動きが気持ち悪い」
「姿形が嫌だ」

などなど。ふむふむ。
でも、どれも納得できる理由ではありません。

ゴキブリが不潔だという話はよく聞きますが、
僕は、ゴキブリの不潔さを実感したことは、ありません。

不潔度でいえば、台所の三角コーナーや、風呂場のタイルのほうが、
よっぽどゴキブリ本体よりも雑菌が繁殖しているでしょう。

また、病原菌を媒介するとも言いますが、
僕はいまだかつて、ゴキブリによって病気になった人を知りません。

もしかしたら、ゴキブリによって知らないうちに病気になっているのかも
しれませんが、これもやはり「知らない」のなら、嫌われる理由に
ならないと思うんです。

世間で言われている理由は、本当に嫌われている理由では、ないと思うのです。





・・・ま、こんなもの引っ張ってもしょうがないので、
結論から言っちゃいましょうか。

ゴキブリが嫌われる理由は、ただ一つ。
「家の中に出る大型昆虫」だからです。それ以外の理由を思いつきません。

「家」というのは、完全な人間の世界です。
よそ者が入り込んではいけない、自分の城なのです。

そこに、ズカズカと入り込んでくる、デカブツ。それがゴキブリ。
だから嫌われるんじゃないでしょうか。

招かれざる客なんですよ、ゴキブリというヤツは。


考えてみてください。


もし、台所から、ウジャウジャとカブトムシが出てきたら、どう思います?
僕は、ゴキブリよりも、よっぽど嫌ですよ。クワガタだって嫌です。痛そうだし。

カブトムシやクワガタが出てくるよりは、
ゴキブリが出てきたほうが、はるかに歓迎できます。

想像してみて、台所から出てくる昆虫として、ゴキブリよりもカブトムシが
嫌だと思うならば、「不潔」だとか「姿形」は、ゴキブリが
嫌われる理由には、なりません。

家の中に出現するという、出現場所の特性が、
ゴキブリが最も嫌われる理由じゃないでしょうか。



ここでちょっと、メルマガテーマでもある「田舎暮らし」と
関連づけてみるならば。

田舎であればあるほど、ゴキブリは嫌われていないと思います。

だって、ゴキブリ以外にも、いろんな虫が出てきますから。
ムカデ・ゲジゲジ・大型のクモなんかに比べれば、
ゴキブリなんてカワイイもの。

でも都会では、ムカデやゲジゲジは生息していません。
唯一、都会の環境に適合できた大型昆虫が、ゴキブリ。

ほかの昆虫が都会では絶滅していく中、
しつこく人間界で生き残り続けているんです。

排除したはずなのに、しつこく出てくる「自然」。
あってはならないものです。都会は、人間の世界なんですから。

あえて言わせてもらえれば、自然界の最後の砦ですよ、ゴキブリは。





春、開け放した窓から吹き込んでくる桜の花びら。

夏、7日間の短い命を懸命に生きる一匹の蝉。

秋、ベランダの手すりにとまったアカトンボの夫婦。

冬、都会を一面の銀世界に変えてしまう突然の大雪。





ゴキブリも、そういった気まぐれな自然の姿の一つです。

春のそよ風に自然を感じるように、
台所のゴキブリに自然を感じてみてはいかがでしょうか?







僕は嫌ですけれどね。



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2008年06月01日

有機無農薬について

ときどき、読者の方からメールをいただくんですが。

何人もの方から、同じ質問をいただいているんです。
「有機無農薬について、どう思いますか?」という質問。
(心当たりがある貴方!そう、貴方のメールです!)


・・・うーん。


あまりこのメルマガでは、有機無農薬について触れることはありませんでした。
(何回かは、書いたことありますけどね)

それは、僕自身が分からないから。
有機無農薬が良いのか悪いのか、分からないから。


まあ、とはいえ。


何人もの方から質問をいただきますし。多くの人が気になっていることでしょう。

僕は、読者の皆さんよりは、農業の現場に近いところにいるんですから、
「こんな感じのことを考えているんです」みたいに
明確な回答じゃなくても、出すことには意味があるんじゃないかと。

思ったわけでして。ええ。

ということで。
本日は「有機無農薬」について。





まず、前提として。
僕は、有機無農薬を体験したことありますし、農薬や化学肥料も体験しています。

有機無農薬の畑で延々と草取りをし、作物を収穫したこともあります。
動力噴霧機を背負って農薬をブン撒いたこともあります。
ショウガ畑で、結構強力な農薬を使ったこともありました。
どっちの作物も食べたことあります。

自分の中では、フィフティー・フィフティーくらいに体験しているつもりです。

ま、僕のバックグラウンドとしては、そんなモンです。





で。有機無農薬。

「有機無農薬」と、一くくりの言葉で使われることが多いですが、
「有機」と「無農薬」は、別に何の関係も無い言葉です。

「有機有農薬」も「無機無農薬」もあるんですよね。

例えば、きちんと有機肥料で土作りをして、作物を育てた。
でも、収穫直前に虫がついてしまい、これでは出荷できない。
そのとき、農薬をまいて、虫を殺した。これだと「有機有農薬」。

また、水耕栽培で、工場のように管理されているから、完全無農薬。
でも使っている肥料は、水にとける無機質の化学肥料。
スーパーで売っている水耕栽培の葉物野菜なんかは「無機無農薬」。

「有機無農薬」を考えるには、「有機」と「無農薬」は
別々に考える必要があるわけです。





まずは(僕としては)分かりやすい「無農薬」から。

農薬が少ないほうが良い、というのは、分かります。

消費者だけでなく、使う側(農民)にしても、
自分が一番危険なんだし、農薬は高いし、いいことありません。

農薬を使う人も、農薬は「買っている」んですから、
わざわざ喜んで使う人は、いません。
使わなくて出来るんなら、それにこしたことはないんです。
(農薬使用を喜ぶのは、唯一、農薬製造会社だけです)

でも。

どうしても、虫がついたり、病気が出たりすることは、あるんです。
そのままでは、作物がとれない、出荷できなくなってしまう。

そんなときに農薬を使うのは、当たり前だと思います。





また、除草剤にしても、そう。

無除草剤にして、すべての田畑の雑草を手でとっていたら、
全国1億人が農業をやらないと間に合わないんじゃないでしょうか。

そりゃ手でとれば、除草剤無しでも出来ます。確実に出来ます。

コストの問題ですよね。
その手間に見合うだけ、無除草剤の作物を高く買ってくれるなら、
農民は喜んで除草剤を手放します。

でも、現状では、そんなことありません。
農業で生計を立てようと思えば、除草剤は使わざるを得ません。





病気や害虫、またはコストの面からみて、
必要な農薬・除草剤というのは、あると思います。

でも、必要ない農薬もあります。

例えば、ナスなんか(うちの周りはナス農家が多い)
ちょっと傷がついていただけで、値段がガクンと下がります。

すごく小さな虫が、ほんのちょっと、2ミリくらいかじって、
その傷もふさがって、ナス自体には何の問題も無い。

それでも、市場に出せば、値段は下がりまくります。

どうせ流通段階でしなびてしまい、都会のスーパーで売られるころには、
そんな傷があろうと無かろうと、全く分からない状態であろうとも。

ほんの少しの傷で、値段が下がってしまうんです。

無駄な「見た目」にこだわっている世界があるんです。

そういう目的のための農薬は、必要ないと思います。

「農薬製造会社」と「農薬販売会社(ま、農協ってこと)」以外は
誰も得していないような、農薬の使い方もあります。

農民も消費者も損をしていて、その間に入っている人だけが
得をするような世界もあるんですね。





んじゃ、全体の農薬使用量が100として、
どれくらいが、僕の思う意味での「必要な使用」で、
どれくらいが、僕の思う意味での「不必要な使用」かというと。

全く何の根拠もなく言いますが。(←ココ重要)

半分くらいは、必要ないんじゃないでしょうか。

農薬使用量を半分にしたら。

見た目は(ほとんど変わらないですが)ちょっと落ちるにしても、
品質・コスト的にも変わらずに生産できると思います。

一応ことわっておきますが「何の根拠もありません」からね。
周りの農家さんを見たりして、何となくそう思っているだけですからね。ハイ。

その前提が正しかったとしても、農薬使用量を半分にするのは、
農民が出来ることじゃありません。

市場の、作物に対する評価が変わらなければ、いけません。

市場とか農協の、作物に対する評価って、消費者の評価とは、
ずいぶん違っていると思うんですよ。

ほんの少しの傷がいけないだの、色がついていないだの。
ほとんどの消費者が「どーでもいい」と思っていることで
値段が左右されていているんです。

生産者は、高く売れないと生活できないですから、
がんばって(僕の目からは)どーでもいい品質向上のために
農薬を使っているんです。

農薬使用量を減らすのって、消費者でも生産者でもなく、
間に入っている人たちが変わらないと、しょうがないと思います。

本来、間に入る市場や農協という組織は、消費者と生産者を
結びつける役割のはずなのに、それが出来ていませんね。たぶん。





そんな感じ。
ね、まとまらないでしょう。

僕の考えとしては
「農薬は、必要なこともあるし、必要じゃないこともある」ってことで、
「現状だと半分くらいは必要ないんじゃないかな、たぶん」って感じ。

身も蓋もない意見ですな。

なのに、こういう議論になると、多くの人は
「農薬は絶対に必要だ!」「いや、農薬なんて必要ない!」っていう
0か100かの議論になっちゃうんです。

そこに僕みたいな「50くらいじゃないっすか」って意見が入っても
「おい、テメーはどっちの味方なんだ!」って感じで肩身狭くなっちゃうから、
嫌なんですよねぇ。コワイコワイ。



まあ、このメルマガを長く読んでいる人は、
何となく雰囲気がつかめているかもしれませんが、
僕は「0か100か」の話って、あまり好きじゃないんです。

「46くらいじゃない?」「72くらいじゃない?」っていうスタンスです。

古いところでいうと「あいまいな日本の私」ですね(copyright 1994 k.ohe)
グレーゾーン。中庸。どっちつかず。適当。どっちも正しいし、どっちも間違い。

でも、議論の場って、「0」や「100」の人のほうが
意見が強い場合が多いんですよね。

特に、有機無農薬の話になると、「0」VS「100」になりがちなので、
ちょっと嫌な感じがするのです。



いつになく長いメルマガになりましたね。
「有機」のほうも触れようと思いましたが、また明日にしましょう。


編注:翌日になって。


昨日のメルマガで言ったように、分からないことだらけなんですが、
分からないながらも現状を書いてみることに意味があるんじゃないかと思い、
ツラツラとしたためてみるワケです。



まず、有機と無機(化学肥料)というのは、何が違うのか。

有機肥料っていうのは、牛糞堆肥、鶏糞、米ヌカ、魚粉、バーク堆肥
(バーク堆肥とは木クズを発酵させたヤツ)等々のものです。

無機肥料っていうのは、植物の3大栄養素である窒素・リン酸・カリを
主体として配合された、工場でつくられているものですね。
リン鉱石などの鉱物から作られています。

で。

植物は、基本的に「無機質」を養分として育ちます。
根っこは、そのまま「米ヌカ」を食べるのではなく、
「米ヌカ」から分解された「窒素」などの無機質を食べているんです。

植物は、有機質をそのまま吸収するのではなく、
無機質にまで分解されたものを吸収しているのです。

もっとも最近の研究では、実は根っこは、無機質だけではなくて、
「アミノ酸」レベルの有機物も、そのまま吸収しているという話もあります。

詳しくは知りませんが、そんな話もあります。



極端な例をあげれば、道端の雑草や、野山の木々は、100%有機。
水耕栽培で育てられる作物は、100%無機ということです。



さて。

一般的に、有機肥料=善、化学肥料=悪、というイメージがあります。
野菜の袋にも「化学肥料50%減栽培」なんて書いてあることも、あります。

僕の現時点の答えは、例によって「分からない」なんですが。

感覚としては「有機肥料=善」は、分からないでもない。8割くらい納得度。
しかし「化学肥料=悪」が、よく分からない。これは1割くらいの納得度です。

例えば、化学肥料を批判するときに、
「製造する段階で大量の二酸化炭素が出る」的な批判をするのだったら、
それは分かるんですが。理解できます。

しかし、化学肥料を使用したら土が死ぬとか、
そういうことが理解できないんです。畑での使い方に関しての話、ですね。



こんな例だったら、どうでしょうか。

有機肥料を使って、草なんかもたくさん入れて、
良い土づくりをして、作物を育てた。

その途中、ちょっと栄養が足りないかな、と感じたときに、
パラパラっと化学肥料を与える。

こんな使い方では、土が死ぬなんてことは、無いと思うんです。

化学肥料も、適切な使い方をしていれば、悪いことなんて無いと思いますが、
有機無農薬の話になると「化学肥料=悪」の図式になり、
使用しないことが大前提になってしまいます。

それが、よく分からないんですね、僕は。



使い方次第なんです。

有機肥料が環境を汚染することもあります。
化学肥料を使って、素晴らしい作物をつくる人もいます。

「道具」なんですよ。化学肥料も、農薬も。

身も蓋もない言い方ですが、使い方次第だと思うんです。
上手く使う人もいれば、下手に使う人もいる、ということです。

「農薬」や「化学肥料」という道具自体に、善も悪も無いと思うんです。



「インターネット」が、子供の教育に良いか悪いかを議論する場合も、
要は使い方ですよね。

良い使い方もできるし、悪い使い方もできる。

インターネットだったら身近な存在ですから、
「そりゃ使い方次第だよ」って感想は、普通に出てくると思うんですが。

「農薬」や「化学肥料」というのは、多くの人にとっては
身近な存在ではありません。

ですから「使い方次第」ではなく、その道具自体が「悪」という
観念が出来てしまうんじゃないでしょうか。

・・・なんて思うんです。



現時点での、僕の理想の農民像をいえば。

有機肥料にも化学肥料にも農薬にも精通しており、
完全無農薬でやろうと思えばやれるし、
きれいな作物を作ろうと思えばつくれるスキルがある。

どっちの道でも作れる農民が、理想像ですね。

その対極にあるのが、何かにつけて「絶対」という人。

農薬や化学肥料は「絶対」に使ってはいけない。
逆に、有機無農薬では、野菜は「絶対」に出来ない。

こう考えてしまうと、視野が狭くなってしまうんじゃないかと思うんです。



例によって、僕の立場は、どっちでもないんです。

ただ「これが正しい!」と声高に主張する人には
「違うんじゃないかなぁ」と、心の中でちょっぴり思うだけです。

何にしろ、絶対に正しいことなんて無いと思っているので。(たぶん)



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