2008年04月30日

サツマイモの歴史

食べ物は人をつくり、人は歴史をつくる。ゆえに食べ物は歴史をつくる。

なんて三段論法が成り立つかどうかは知りませんが、
食べ物という観点から歴史が語られることは、あまり無いと思います。

でも、実際は無関係ではないんですよね。
食べ物が、歴史の中で重要な役割を果たす場合もあります。

きょうは、歴史を動かすサツマイモの話。




サツマイモが日本に伝わってきたのは、いつごろかご存知ですか?

サツマイモの原産地は、南アメリカ大陸の熱帯地方。
そこから東南アジアに伝わり、中国を経て琉球王国(沖縄県)へ、
琉球から九州、そして本州へと伝わってきた野菜です。

琉球から日本へと伝わったのが、江戸時代初期。
西暦でいえば、1600年代後半あたりのことです。



本格的に栽培された土地は「サツマイモ」の名前が示すとおり、九州は薩摩国。
現在の鹿児島県西部にあたる地域です。

痩せ地でもよく育つこと、栽培容易なこと、そして栄養豊富なこともあり、
薩摩ではまたたく間に「サツマイモ」の栽培が広がっていきます。



そして、時は1732年(享保17年)。

歴史の教科書に載っている大飢饉、享保の大飢饉が日本を襲います。
梅雨時期からの長雨が二ヶ月も続き、ウンカ・イナゴなどの害虫が大発生。
米の収穫量は、前年の4分の1にまで落ち込んでしまいます。

特に被害が大きかったのが、西日本の諸国(諸藩)。
餓死者の人数は、1万人とも、100万人とも言われています。

日本史上に残る大飢饉でした。



こんな大飢饉にも関わらず、餓死者を出さなかったと
言われている藩があります。それが、薩摩藩。

米が不作でも、サツマイモは無事だったんです。
サツマイモ栽培が盛んだった薩摩藩だけは、無事に飢饉を乗り切りました。



ちなみに、当時の「国力(藩力)」というのは「石高」で表します。

石高というのは、米の収穫量であり、当時では「米の収穫量」は、
そのまま「藩内で養える人口」を表しています。

大体、1石=1人と考えて、間違いありません。

江戸時代初期の日本は、国の米の生産高が3000万石、人口は3000万人。
そして明治初期には、国の米の生産高が5000万石、人口は5000万人です。



また、「兵士の数」というのも、人口に比例します。
大体、10万人あたり200人の兵力。つまり10万石で200人の兵隊です。

例えば会津藩ならば、石高は233万石。
兵力は233万石÷10万×200=4660人。
実際の兵力は4600人前後だったというので、この公式が成り立つのです。



さて。



この例外が、薩摩藩。
薩摩藩の石高は77万石なのに、兵力は4万数千人もいたのです。

先ほどの公式に当てはめると、4万数千人の兵力を雇うためには、
230万石ぐらいの石高は必要になるのです。なのに実際は77万石。

「石高」は、あくまで「米の生産量」ですから、米以外の作物は含まれません。
薩摩国の特産であったサツマイモが、77万石(公表)と230万石(実力)の
間の、かなりの部分を占めていたのだと思われます。



江戸時代において、国力とは、すなわち「食料の生産力」でもありました。

そのような中、栄養豊富なサツマイモは、直接的に国力につながります。

サツマイモの栽培が盛んな土地、つまりサツマイモ栽培に適した
気候を持った地域は、石高以上の実力をひそかに溜めていったのです。





時は流れて、明治維新。

明治維新において、中心的役割を果たした薩長土肥と言われる4国。
4国はすべて、サツマイモ栽培の盛んな土地でした。

サツマイモが豊かな国力をつくり、
豊かな国(藩)で育った人材が、歴史を動かす。

そんな、サツマイモの話。



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posted by 加藤のどか at 16:52| 食べ物のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月29日

フラフ

僕が高知に引っ越してきたのは、ちょうど2年前の今頃でした。

荷物を満載した車を運転しながら、やってきた町。
最初に目に入ってきたのが、こいのぼりでした。

都会じゃ決して見られないような、巨大なこいのぼりが、
いたるところで風に泳いでいました。

そして、こいのぼりの横には、金太郎が書かれた巨大な旗。

田舎ならではの風景を目にして、新たな生活が始まることを実感したものです。



さて。



上記の文章に出てきました「巨大な旗」。

僕は、田舎では、こいのぼりの他に旗を立てて、
ダイナミックに男児の成長を祝うという風習があると思っていたんですが。

ちょっと違いました。

この「巨大な旗」を掲げるという風習は、どこの田舎にもあるわけではなく、
高知県独自のものらしいんです。

巨大な旗といっても、ピンときませんよね。百聞一見にしかず。
こんなやつです→http://www.webkochi.net/



その名も「フラフ」。英語の「フラッグ」に由来するらしいです。

絵柄は金太郎や、那須与一、楠木正成、加藤清正などが人気。
そこに、男の子の名前を大きく書き記しています。

フラフが五月晴れの空に、こいのぼりと共にたなびく姿は壮観です。



僕は勝手に、旗を立てるという風習は、
日本全国の田舎にあるものと思っていたんですが、違ったんですね。

こういう季節の行事には、地方色が色濃く残っており、なかなか面白いものです。

春に高知に来た際は、豪快なフラフを、ぜひごらんください。



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タグ:高知
posted by 加藤のどか at 16:51| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月28日

カラスの頭脳

田植えの季節です。

僕の住んでいるところは山の中なので、まだ田植えは行われていませんが、
気温の高い平地では、田植えが一通り済んだところも多いと思います。


さて。


山間部の田んぼを見ていると、ときどき、
田んぼの上空にピアノ線が張ってあるのが、目に付きます。

これは、鳥が田んぼ来ないように対策しているんです。


でも、不思議じゃないですか?


収穫の時期ならば、実った米を食べるスズメなどを避けるというのは、
分かります。

しかし今は田植えの時期。鳥が食べてしまうようなものは、
見当たりません。

では、田植え時期のピアノ線は何のために張ってあるのか?





答えは、カラスを避けるため。



とはいえ、カラスが田植え直後の稲を食べるわけでは、ありません。
カラスが食べるのは、オタマジャクシなどの小動物です。

で。カラスがオタマジャクシを食べるために、
田んぼの中を歩いていると、泥ですから、ずぶずぶ沈んでしまいます。

だからカラスは、沈まないように、
植えた稲を踏み台にして、田んぼを歩き回るんです。

農民は、何もオタマジャクシの命を守りたいわけではなく、
稲を踏み荒らされたくないから、やっているんです。





・・・という話を聞いた僕が、思ったこと。

カラス、賢い。





通常の鳥ならば、田んぼがドロドロだから、稲の上だけを歩こうなんていう
発想は、出てきませんよ。

普通ならば

オタマジャクシが食べたい!
  ↓
でも、足元がドロドロだよ・・・
  ↓
しょうがない、あきらめよう

って発想の流れでしょう。そこを、稲だけ選んで歩くとは、かなりの頭脳。



実際にカラスはどれだけ賢いのか、ちょっと調べてみました。



一般的に、動物の賢さを図る数値に「脳化指数」というのが、あるんです。

全体重のうち、脳の重さがどれだけを占めているかという数値です。
(正確には「脳化指数=脳重÷体重の2/3乗」で表されます)

人間の場合だったら0.86%、ブタだったら0.05%という具合です。



その数値が、カラスは「0.16%」。
鳥類の中では、異様に高い数値だそうです(ちなみにニワトリは0.03%)

馬の0.10%、ネコの0.12%、イヌの0.14%よりも高い数値。

カラスは、「脳化指数」では犬よりも勝っているんです。



また、脳が大きいだけではなく、脳の神経細胞の密度も、
普通の鳥類よりも、はるかに高密度だそうです。いやぁ、カラスすごい。

この「脳化指数」が、そのまま賢さを表しているとは
限らないでしょうが、なかなか興味深い数値です。



蛇足ですが、カラスよりも脳下指数が高い動物は、
「ゾウ 0.22%」「チンパンジー 0.30%」「イルカ 0.64%」

イルカの0.64%というのは、動物でトップクラスです。

人間が0.84%ですから、イルカなんか「ちょっと馬鹿な人間」
くらいの頭脳は、持っているってことですよね。

賢いイルカだったら、哲学的なことを考えちゃっているかもしれません。



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タグ:カラス
posted by 加藤のどか at 16:49| いろいろなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月27日

下水道料金を比較してみる

田舎暮らしは、都会暮らしに比べて、何かと出費が減るものです。

会社帰りの飲み会も無いし、家賃は安いし、食材も安く手に入ります。
車を使うのでガソリン代はかかりますが、電車賃と比べたら大差無いでしょう。


そんな田舎暮らしの中で、あまり気付かれていない出費。

それが、下水道料金。


下水道といっても、ひらたく言えば、バキュームカーでの汲み取りです。

では、この料金って、いったいどれくらいかかるのか?
都会暮らしに比べて、格段に違うものなのか?

その辺、調べてみました。




・・・と、その前に。

軽く、田舎の下水道(トイレ)事情について、お話しします。




都会ならば、トイレやお風呂の排水は、地下の下水管を通って、
下水処理場に集められ、処分されます。

しかし、多くの田舎には、下水道がいまだにありません。
ならば、どうするか。



まず一つは、浄化槽です。

各家庭に設置された、小型の下水処理場のようなものです。

浄化槽には2種類あって、トイレの排水のみを処理する「単独処理浄化槽」と、
お風呂や台所の排水も含めて処理する「合併処理浄化槽」とがあるんですが、
「単独処理浄化槽」は生産中止になったので、新しく設置する場合は、
必ず「合併処理浄化槽」になります。

これがあれば、バキュームカーでの汲み取りはいらないんですね。
各家庭で処理した下水を、そのまま川や海に流します。



浄化槽が設置されていない場合は、タンクにトイレ排水が溜められています。
いわゆる、ボットン便所というヤツです。

しかし、ボットン便所にもレベルがあり、簡易水洗トイレというのがあります。
これは、ボットン便所の上部分だけ(つまり室内から見える部分)を改造し、
「普通の水洗トイレ」みたいにするというもの。

見た目は普通の水洗トイレですし、中にはウオシュレットを装備したものも
ありますが、地下は下水道につながっておらず、排水が溜められているわけです。

当然、普通のボットン便所よりも排水量は多くなりますから、
その分、バキュームカーを呼ぶ回数も頻度が増すというものです。



つまり、まとめてみると。



レベル1・・・ボットン便所

レベル2・・・簡易水洗

レベル3・・・単独処理浄化槽

レベル4・・・合併処理浄化槽

レベル5・・・下水道


と、なるわけです。

田舎の下水道は、ボットン便所から合併処理浄化槽まで、
大きく4種類に分かれているのです。


田舎暮らしをはじめる場合、家を「建てる」か「借りる」か、
どちらかになるわけですが、家を「建てる」人は、大体は合併処理浄化槽です。

家を新築するのに、わざわざ好き好んで、
ボットン便所を設置するとも思えませんから。


では、家を建てずに「借りる」場合。

この場合は、その家のトイレが、ボットン便所なのか、簡易水洗なのか、
単独処理浄化槽なのか、合併処理浄化槽なのかによって、
月々にかかる金額も変わってくるのです。



まずは田舎と比較するにあたり、都会の下水道事情。
都会では一般的に下水道料金というのは、いかほどなのか。


下水道料金というのは、一定ではなく、排出した量によって決まります。


「えっ、うちの下水道にはメーターがついているのか?」と
思われた方もいるかもしれませんが、ちょっとストップ。

正確には、使用した水道の水が、そのまま下水として流れていると
考えられているので「水道使用量」=「下水道使用量」となります。

水道代に含まれている、と考えたほうが、正しいかもしれません。

現に、東京都の場合は、水道料金と一緒に徴収されているので、
「下水道料金」を払いながらも、払っていることに気付いていないという
人も、多いと思います。

標準的な家庭が、1ヶ月あたり24立法メートルの排水を出しているのですが、
すると1ヶ月あたりの下水道料金は「2440円」となります。

これが、東京都の場合の、下水道料金です。




では、田舎の場合は、いかほどか。

まず、モデルケースとしての我が家の場合。
うちのトイレは「簡易水洗」で、汲み取り式です。

大体、2ヶ月に1度、バキュームカーに汲み取りに来てもらいます。
その料金が、約5000円。

台所・風呂などの排水に、浄化槽は設置していませんので、
2ヶ月あたり5000円のみが、下水道料金になります。

つまり1ヶ月あたり「2500円」。これは東京都の場合と、ほぼ同じですね。

(僕が住んでいるのは、昔の家ですから、台所・風呂排水をそのまま
 処理せずに流す形態になっていますが、新築の家で、こういう排水処理の
 やり方は禁止されております)




では、浄化槽を設置した場合の料金は、いかほどになるのか。

田舎に家を建てる場合、自分で浄化槽を設置しないといけません。
現在は「単独処理浄化槽」の設置はできず、「合併処理浄化槽」だけですから、
これを設置する場合、料金はいかほどか。

もちろん、規模の大小がありますから、値段は上下するのですが。

某市のホームページによると、補助金が40万円ほどおりるのもの、
個人の出費が何と140〜200万円!

設置するのに、これだけの金額がかかります。

さらに、合併浄化槽は、ほったらかしにしていいものではなく、
維持管理をしないといけません。

定期的に、業者さんに保守点検作業を頼まないといけないのです。
その料金が、年間で11〜14万円。1ヶ月あたり、約1万円です。

わぉ高い!




では、最も田舎を感じさせる「普通のボットン便所」の場合、
下水道料金は、どのくらいになるのか。

簡易水洗に比べて排水量が圧倒的に少ないため、汲み取りの回数も少ないです。

僕の友人に猛者がおりまして、汲み取り料金を払うのがいやで、
3年間引き伸ばした結果、ついに先日、やっと観念して汲み取りを行いました。

3年間のトイレ排水の汲み取り量が、5000円。
すると1ヶ月あたりの下水道料金は、約138円。激安です。

彼は一人暮らしでしたから、
家族が多い場合は「138円」に人数分を乗じてください。





と、すると。

下水道にかかるお金の高い順に

・浄化槽(設置140〜200万円、維持費1ヶ月10000円)

・簡易水洗(維持費1ヶ月2500円)

・下水道(維持費1ヶ月2440円)

・ボットン便所(維持費1ヶ月138円)

と、なります。



気になるのは、使用においての「快適さ」ですよね。
いくら維持費が安いからといっても、快適な
トイレライフが送れないとなれば、これは問題です。

でも、快適さに関しては、ボットン便所以外はすべて同じ。
簡易水洗のウオシュレットもあるんですから、都会と代わりません。
下水道だの、浄化槽だのというのは、地面の下の、処理方法の違いだけです。

しかしまあ、浄化槽というのは高価なものですね。

この浄化槽の費用を見てみると、下水道というのは、
とても役立つシステムだというのが、よく分かります。




日本の田舎には、いまだに下水道が普及していないところも、かなりあります。

日本の下水道普及率は約70%。
これは、先進国の中では、かなり低い値になっています。

しかし、世界に目を向けてみると、
下水道普及率が50%以上という国は、相当珍しいようです。


レバーをひねればウンチが流れるというのも、豊かさの象徴ですね。



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posted by 加藤のどか at 16:47| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月20日

言葉を実感する

ことわざや熟語には、自然や農業に関する言い回しが、とても多いです。

それもそのはず。昔の人にとっては、周りの世界は畑と自然なんですから、
農業関係のことで例えるのは、しごく当然のことだったのでしょう。

でも、現代に生きる我々は、なかなか実感することの無いまま、
言葉だけを使っているということも、あります。


で。


知識として知ってはいたけれど、実感が伴っていなかった。
でも田舎に来てみたら、なるほど腑に落ちた。

きょうは、そんな言葉たちを、幾つかご紹介。





【竹の秋】

国語のテストで、出された記憶があります。

問「竹の秋とは、いつごろの季節を指しますか」みたいな。

当時は、ただ暗記ものとして「春」と覚えていたのですが、
田舎に来てみて納得しました。



ちょうど今頃の季節ですかね。(もうちょっと遅いかな)
竹林が紅葉するんです。葉っぱが黄色くなるんですね。

といっても、落葉して、素っ裸の竹林になってしまうのではなく、
春の時期に、一斉に葉っぱが入れ替わるんです。
落葉した直後に葉が出てくるので、一応は常緑です、竹。

見てもらえば、一目瞭然ですね。
春の竹林は、たしかに「竹の秋」であると、一発で分かります。

「麦秋」なんてのも、同じタイプの言葉ですね。





【クモの子を散らすように】

これも、意味は知っていましたが、実際にクモの子が散ったところは、
見たことがありませんでした。

田舎には、どこにでもいます。クモ。
そして、ときどき「クモの子」が集団で固まっているところも、あります。

そこをちょっと指でつつくと、まあ散るわ散るわ。
まさに「クモの子を散らすように」、てんでばらばらに散ってゆきます。

さすが本家本元。

お手本のような「クモの子を散らすような」散らしっぷりを見せてくれます。
クモの子を超えるような「クモの子を散らすような」動きを、私は知りません。





【水蜘蛛】

もう一つ、クモの話。

何故だから知りませんが、田んぼにはよくクモがいます。
しかも、水面にアメンボのように浮かんでいるんですよ、クモ。

このとき、思い浮かびました。
忍者が水面を渡るときに履く、丸いやつ。あれ「水蜘蛛」っていいますよね。

そのネーミングをした人は、クモが水面を自由自在に動くのを、
知っていたのでしょう。

現代人がつけるなら「アメンボシューズ」とでも名づけるところです。
昔の人にとっては、アメンボよりクモのほうが身近だったのかもしれません。





【我田引水】

四字熟語ですが。

意味は皆さんご存知のとおりですが、実感として、田んぼに水を引くことが、
どのくらい迷惑になるかは、分からないと思います。

実際に田んぼで稲を作ると分かりますが、水は本当に大事です。
必要なときに水が来ないと、何も作業が出来なくなります。

勝手に水路から水を引いて使う人ばかりだったら、
下流の人には水が回ってきません。

我田引水は「ちょっと迷惑」くらいじゃなく、まじで生死に関わるくらいの
感覚だったんじゃないでしょうか。
共同作業が求められる稲作で、自分勝手な行動をすることは、皆の迷惑です。

本当にイケナイことなんですよ、我田引水は。





【ボケナス】

悪口の一つです。「このボケナス!」みたいに使います。
ボケナスというのは、収穫期を過ぎて、大きくなり過ぎちゃったナス。

味がぼやけて、すかすかして、「うーん」って感じになります。
これも味わってもらったら一発なんですがね・・・

家庭菜園をやっている方、ナスが余ったら、1個ボケナスを作ってみてください。
一口食べたら「このボケナス!」と言いたくなること、請け合いです。

ボケたナス以上に「ボケナス感」を感じさせてくれるものを、私は知りません。





【権兵衛が種まきゃカラスがほじくる】

都会につきものの鳥、カラスですが、田舎にも勿論おります。

賢い鳥なのでしょう。

種をまくとか、肥料をまくとか、トラクターで耕したりすると、
どこからともなく飛んできて、後ろをついてきます。

そして、畑をほじくるんですよね。まあ憎たらしい。

人間が畑にいるというのに、堂々とやってくる動物は、カラスだけ。
昔の権兵衛さんも、さぞかし苦労したことでしょう。







考えてみると、いくらでも思い当たってしまいます。
いいかげん筆(キーボード)が止まらなくなるので、この辺でやめますが。

自分が「知識」としてだけ知っていた事柄を、
実世界で実感すると、再発見の感激というか、気持ちいいですね。

ずっと、無意識のうちで引っかかっていた疑問が解決したカタルシスというか。
頭の中で、パッと何かがつながった感じがします。アハ体験でしょうか。



皆さんの身の回りにも、少なからずあるはずです。
実際に「ああ、こういうことだったんだ」と実感できる何かが。



とりあえず、クモの子供が固まっていたら、突っついてみてください。



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2008年04月18日

山菜王国

春になると、里山には幾多の山菜が顔を出します。

フキノトウ・ゼンマイ・ワラビ・ノビル・イタドリ・・・
他にもいろいろあるのでしょうが、僕が分かるのは、このくらい。

今のところ数種類の山菜しか見分けがついていませんが、
これでもマトモになったほうです。



田舎に来た当初は、どれが山菜かなんて、全く分かりませんでした。
東京では、山菜なんて、既に混ぜご飯に混ぜられた状態か、
もしくはソバの上に乗っているヤツしか見たことありません。

「生えている状態」の山菜なんて、どれがゼンマイやら、ワラビやら、
皆目見当がつかないものです。

しかも、ワラビとかって、夏にはシダみたいになっているんですね。
知らないで、雑草とともに草刈機で刈り飛ばしたことも、
一度や二度ではありません。(地元の人は、山菜を避けて草刈をします)




さて。

そんな山菜が、今年も顔を出しました。




もうフキノトウは終わりましたが、
今はゼンマイ・ワラビ・ノビルの真っ盛り。いくらでも採れます。
30分歩けば、100本くらいの山菜が収穫できます。

たぶん、これも東京で買ったら高いと思うんですよ。天然モノですからね。
数千円はするんじゃないでしょうか。それが、いくらでも生えてくる。

都会者としては、地面から小銭が生えてくるような感覚です。





ちなみに。

ゼンマイ・ワラビというのは、山菜ソバに乗っているようなヤツ。
典型的な、皆さんが思い浮かべる「ザ・山菜」です。

ノビルっていうのは、タマネギのような、ニンニクのような。
生で食べられますが、臭いが強烈です。味噌につけて食べます。

イタドリは、高知県以外ではあまり食べないようですが、
なかなかウマイです。生でもいけます。
皮をむいてかじると、梨のような味がしますね。





東京にいた時分には、山菜なんてウマイとも何とも思わなかったんです。

山菜なんて、「そば」のレパートリーの一つ、という位置づけ。
そんなに脂っこいものは嫌だけど、「かけそば」は何となく恥ずかしいし、
そういうときに頼んじゃうのが「山菜そば」。そんな位置でしかなかったんです。

まあ、でも本当の山菜は、美味しいものです。
「春だねぇ」って感じがしますね。

田舎の人々は、ふだんから美味しいものを口にしていますが、
彼らが口を揃えて「美味しい」というのは、「春の山菜と、秋のキノコ」。
たしかに、どちらも美味しいです。

あと「鹿の心臓」も美味しいといいますが、こちらはまだ未体験。





都会に住んでいても、お金を出せば美味しい山菜は食べられるでしょうし、
僕が採っているよりも美味しい山菜も食べられるかもしれません。

でも、生えてきている山菜を見つけて、収穫する。
しかも、散歩がてらに出来るところが、田舎の楽しみの一つです。

採り始めたころは、草の中にある山菜なんて見つけられなかったのに、
慣れてくると、目が「山菜モード」になるんですね。
地面を見て、山菜の位置がすぐに分かるようになります。慣れってスゴイ。





ちなみに。

近くに野山がある人なら、山菜採りに出かけようと思うかもしれませんが、
勝手に野山に入って採るのは、実は違法です。

山は、日本全国どの山も、所有者がいます。
ですから、勝手に山菜を採るのは、泥棒になっちゃうんですね。

きちんと、許可をとらないといけないそうです。



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2008年04月17日

飛行機雲

先日、田んぼで作業をしていたときのこと。

その日は、雲ひとつ無い青空が広がっていました。

そこに、一筋の飛行機雲。

田んぼの標高が高いので(600メートルくらい)、
視力が良ければ、飛行機の窓まで見えるんじゃないか、っていうくらいです。

すると、また違うところから、一筋の飛行機雲。

またまた、飛行機雲。あっちから、こっちから飛行機雲。

多いときには、現在進行中の飛行機雲4本を含め、
同時に10本以上の飛行機雲が青空に広がっておりました。



一体、あの飛行機はどこへ向かっているのか?

地図を見てみると、僕の住んでいる四国大陸中央部は、
ちょうど九州・沖縄と、関西を結ぶ直線上に位置していることが、分かります。

山の上の田んぼからは、広い範囲が見渡せるので、
九州・沖縄―関西路線の、ほとんどが視界に入るのでしょう。

今まで、素通りされるだけで、別に騒音をまきちらすわけでもないので、
考えもしなかったことですが、意外に交通の拠点なんですね。



僕の住んでいる町の人口は、4000人くらい。

バスは1時間に1本以下。
1日数本の電車が発着する最寄駅までは、歩いて3時間くらい。

その上空を、20〜30機の飛行機が通り過ぎていくんです。
町の人口以上の人間が、上空を素通りしていきます。

っていうだけで、面白いってほどの話でもないんですが。



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2008年04月16日

ジャガイモと王様

欧州料理に使われる代表的な野菜の一つが、ジャガイモです。

ドイツ人の主食というイメージもありますし、
フライドポテトのことは別名「フレンチフライ」なんて言いますよね。

ヨーロッパ文化に、とても根付いている食材だと言えます。


しかし、そんなジャガイモですが、普及したのは近代のこと。
17世紀末(日本でいえば江戸時代中期)までは、
一般庶民でジャガイモを食べる人は、ほとんどいなかったんです。

それが、たった300年で、主食レベルにまで普及してしまいました。

その理由とは。

きょうは、ジャガイモにまつわる話を一つ。







まず、何で昔のヨーロッパ人はジャガイモを食べなかったのか。

その理由の一つとして挙げられるのが、
「ジャガイモには毒がある」という迷信です。

ジャガイモがヨーロッパにもたらされた頃、あるいい加減なイギリス人が
「ジャガイモの食べ方」を紹介したレシピ本を出版しました。
新食材の食べ方を解説すれば、商売になると思ったのでしょう。

でも、このイギリス人、ジャガイモの食べ方を知りませんでした。

で、こともあろうに「葉っぱを茎を食べるんだよ」みたいなことを書いて、
真に受けた読者が、ジャガイモの葉っぱと茎を、普通の野菜のように食べた欠課、
中毒に陥ってしまったという話。

また、ジャガイモの芽にも毒がありますから、
これを取らずに食べた人も「ジャガイモには毒がある」と思ったことでしょう。

正式な食べ方を知らなかったから、毒であるという説が広まったのです。





もう一つの原因は、「聖書」について。

聖書には、数多くの食物が書かれていますが、ジャガイモは当然載っていません。
おまけに、ジャガイモというのは「種」ではなく「芋」で増えるという
性質を持っています。

「まともな植物の増え方じゃない、聖書にも載っていない、
こりゃ悪魔の食べ物だわい」と、昔のヨーロッパ農民は思ったわけです。

だから、食用にしようなんて思う人は少なく、
一部の人が「花がきれいだから」という理由で、
鑑賞植物にしていたくらいだったんです。





そんな折。

ヨーロッパで大飢饉が起こりました。
時は西暦1769年、そして1771年。二度の大凶作に見舞われたのです。

当時のフランス国王は考えました。

飢饉を解決するために、小麦に代わるような、新たな作物を栽培しよう、と。

多額の懸賞金をつけ、国中から、小麦に代わる作物を募集しました。

そこに応募したのは7人。
その7人全員が提案したのが「ジャガイモ」だったのです。



しかし、ジャガイモは「悪魔の食べ物」。
いくら栄養豊富で、栽培容易という優れものであっても、
国民の不安を取り除かなくては、口にしてくれるとは思えません。



そこで一計を案じたフランス国王は、パリ郊外に広大な農地を用意し、
そこにジャガイモを植えました。

そして、「この畑は、王家の食材を作る畑である。
ここには、ジャガイモという、大変栄養豊富で、美味な野菜を植えてある。
勝手に盗んだものは、厳罰に処する」という看板を立てました。

で、昼間は警備を厳重にし、夜には警備を休ませるという方法をとったのです。



いつの時代にも、物好きはいるもので、
好奇心旺盛な輩が「そんな美味しいなら、盗んで食べちゃえ」ってことで、
警備の無い夜のうちに、ジャガイモを畑から盗んで、食べだしたのです。

その結果、こいつぁウマイ!ということにフランス国民は気付き、
一気にジャガイモが広まっていったとのこと。

フランス版の一休さんみたいな話です。


また、王妃が夜会に出る際には、美しいジャガイモの花飾りをつけさせて、
貴族たちにも、ジャガイモという作物を広めていきました。


おかげで、フランス国民は飢えから救われ、
ジャガイモはヨーロッパ中に広まっていくことになります。

そして、今やジャガイモは、フランスだけでなく、
ヨーロッパ中で、無くてはならない食材としての地位を築いています。





当時のフランス国王は、ルイ16世。王妃は、マリー・アントワネット。
共に、後のフランス革命で処刑されます。



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タグ:ジャガイモ
posted by 加藤のどか at 16:42| いろいろなこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月15日

精米添加剤&炊飯添加剤

「精米添加剤」に、「炊飯添加剤」。耳慣れない言葉です。

ほとんどの人は知らない製品なのですが、
ほとんどの人は食べたことのある製品でもあるのです。



どこで食べたか、心当たりが全く無いでしょうが、
それを説明する前に、まずは「精米添加剤」「炊飯添加剤」なるものが、
どのような製品であるのか、ご紹介します。



まず、精米添加剤。
一言で言うならば「古米を新米っぽくする薬」です。

精米とは、玄米を白米にする作業のこと。
その段階で、精米添加剤を使うと、ツヤのある、甘みのある、
そして割れにくい(古米は割れやすい)白米が出来上がるのです。

具体的に成分は、
・ソルビット(甘味料)
・リン酸塩(精米時に割れにくくする)
・プロピレングリコール(光沢を出すための石油製品)などが使用されています。



では、炊飯添加剤とは、どのようなものか。
精米添加剤が「精米時」に使うものなら、炊飯添加剤は「炊飯時」に使うもの。

白米を炊飯するときに、炊飯添加剤を使うと、
水分が逃げにくく、粘りやツヤが出て、冷えても固まりにくい。
また、炊飯窯に米が引っ付かないので、無駄なく使えるという利点があります。

スーパーでも「お釜にポン」「ライスミックス」などという名前で
販売されています。



たしかに便利なものですが、ごはんに添加物を加えるなんて気持ち悪いと思って、
使わない人は多いと思います。僕も、それが普通の感覚だと思います。

しかし、実際にはほとんどの人が、
「精米添加剤」も「炊飯添加剤」も、口にしたことがあるのです。

どういうところで「精米添加剤」や「炊飯添加剤」が使われているかというと、
外食産業・弁当業界・給食業界、といったところです。

つまり、コンビニでお弁当やおにぎりを食べた経験のある人ならば、
これらの口にしていると思って間違いありません。




でも、食品添加物に気をつけている人なら、不思議に思うこともあるでしょう。

ラベルの表示をチェックしても、
「精米添加剤」などという文字は、どこにも見当たらないのです。

その理由は、表示義務が無いから。

添加物は、すべてを表示しないといけない、という決まりではないのです。
添加物の中には、表示しなくてもいい添加物というのも、あるんです。

食品を食べる段階において、影響がないと「考えられている」添加物に、
表示の義務は、ありません。


例えば、カズノコには漂白剤が使われていますが、
食べる段階では影響がないため、表示義務はありません。

輸入されるエビなども、塩素系の漂白剤にひたされて日本に入ってきます。

ミカンの缶詰は、塩酸と水酸化ナトリウム水溶液で、皮をむきます。


でも、これらの添加物は「加工助剤」という扱いになり、
食べる段階での影響が無いということなので、表示義務はありません。

精米添加剤・炊飯添加剤も、同じように「加工助剤」の一種なので、
表示義務がないのです。



もう一つの表示トリックとして、
お弁当などの場合、原材料が「白米」ではなく「ごはん」ならば、
精米添加剤・炊飯添加剤の表示義務は無いのです。

原材料表示は「ごはん」だけでも、
実際は「ごはん(白米・精米添加剤・炊飯添加剤)」ということです。



・・・そういう現状に、一部の消費者から苦情が出たのか、
数年前には厚生労働省から「表示しろよ!」っていうお達しが出たんです。

でも現状は、シカト状態。

スーパーで売っている白米の原材料欄に
「玄米・精米添加剤」と書いてあることは、ありません。

実際、精米添加剤に関して言えば、末端の消費者はもちろんのこと、
小売店や飲食店も、使用されていることを知らない場合が多いと思います。

普通のスーパーが、すべての米について、一つ一つの精米現場をチェックし、
添加物が使われていないかどうか判断するなんて、非現実的です。

実際は、精米業者が「見た目がいいと売れるから」という理由で、
ツヤ出しなどのために、精米添加剤を使い、小売店や飲食店に
販売している、という形でしょう。

実際には添加剤入りの白米でも、
スーパーは全く知らずに販売しているかもしれません。




ごはんにまで添加物が加えられる時代。
なぜ、こんなことになってしまうのか。


僕の個人的な見解は、添加物は全て悪だ、というものでは、ありません。
保存料のおかげで、いつでもコンビニで100円出せばおにぎりを食べられます。
食品が腐ることは、ほとんど無くなり、食生活は豊かになりました。

食品添加物には、大きな利点もあるし、幾つかの欠点もあります。
だから、全て添加物をなくせ、なんて言うつもりは、ありません。

問題は、知らされていないっていうことです。



どのような原材料を使っているのか、すべての情報開示をした上で、
買うか買わないか消費者個人が判断すればいいと思うんです。

「Aという添加物を、ネズミの実験で、1年間食べさせても無害であり、
 その100分の1の量を限度としている」

といっても、じゃあAとBとCという3種類の添加物をとったらどうなるのか、
ネズミは大丈夫だけれど人間はどうなのか、
1年で影響は出ないけれど10年後はどうなのか、
自分の子供や孫に影響は出ないのか、いろいろ問題があります。

僕が独裁者なら、健康を害する恐れのあるものは全面禁止だとか、
せめて食品添加物について義務教育で教えるとか、するかもしれませんが。

現実には「自己責任」ということで、消費者が「危険性」と「利便性」を
てんびんにかけて判断するしかないと思います。


現代社会とは、食品の持つ危険性も判断できずに、
CMで宣伝される食品ばかり食べるような馬鹿は死ね、というような
社会システムだと思います。あえて悪く言えば。

自分で知識をつけ(義務教育では教えてくれないから)、
宣伝の言葉は鵜呑みにせず、自分の頭で判断するしかない。

それが「自己責任」という言葉の持つ意味だと思います。ひどいことですが。


しかし現実には、そんな形の「自己責任」の取りようも無い。
自己責任で判断するだけの、情報開示がなされていないんです。



まず「しなければいけない表示をしない」
というのは論外ですし、違法だと思うんですが。

でも、表示をしない状態が、普通にまかり通っているという現状があります。
(精米添加剤にしても、厚生労働省の通達で表示するように指示されていても、
 現状は、ほとんどの業者は表示していません)

飲食業者だって商売なんですから、1社だけが馬鹿正直に表示すれば、
その1社だけが売れなくなるのは当たり前です。

まず基本的に、表示義務があるものは、表示義務を徹底させること。



そして、現在は表示義務のない「加工助剤」にも
表示義務は設けるべきでしょう。

食べる段階では影響が無いと、どこかの研究所が決めたのでしょうが、
その判断は消費者にゆだねるべきです。

「消費段階では影響がないと○○○研究所で判断された漂白剤を、
 洗浄段階で使用しています」という情報は、出されるべきです。

自分の健康に対して、自己責任でもって判断できるだけの材料を、
きちんと提出するべきなのに、まるで
「俺が大丈夫だと言ってるんだから、大丈夫なんだ、信用しねぇのか!」
といったような態度です。(勝手なイメージ)

現に僕は、「影響がない」とされる、表示義務のないカズノコの漂白剤の味は、
嫌というほど分かりました。薬を食べているような味がしましたよ・・・
(原材料表示は「魚卵」「食塩」のみ)



できるだけ食品添加物を避けるように気をつけていても、
表示されていないのでは、避けようがありません。

自分が食べるものの正体を正確に知る権利は、消費者にあると思います。


「精米添加剤」「炊飯添加剤がなぜ使われるかといえば。
この問題の原点には「古米はまずい」という前提があるんです。

「まずい古米を、美味しく食べるためには、どうしたらいいか」
そういう問題を立てたから、回答として「添加剤」という答えが出てきたんです。


この「答えの出し方」に対する突っ込みは、いろいろとあるでしょう。


そんなことしてまで食べたくないとか、
便利だから生産者も消費者も助かるとか、数々の意見があります。

でも「添加剤」という答えに賛成する側も反対する側も、
「問い」は正しいと思っていないですか?

つまり「古米はまずいから、できるだけ新米のように美味しくしたい」
という問い自体は、正しいと思っていないでしょうか?

そもそも、古米って本当にまずいのでしょうか。





実際に「古米はとてもまずくて食べられなかった」という経験を持つ人が
いるかもしれませんが、それは本当に「古米」だったのでしょうか。

ただ単に「まずい米」だったのかもしれません。
また、あまりに保存状態が悪かった米なのかもしれません。

そもそも、正確に新米と古米を食べ比べた人は、あまりいないはずです。

食べ比べるということは、同じ田んぼで育った、同じ年の、同じ品種の米を、
新米状態のときと、1年たったときと、5年たったときと、食べ比べてみて、
はじめて「新米がうまいか、古米がうまいか」という比較が出来るんです。

年によっても、また地域どころか、隣の田んぼと田んぼでも、
米の味は違ってくるものです。
ですから、正確には「同時」に新米と古米を食べ比べることは、できません。

わかりやすく言えば。

1998年もののワインを、1年寝かせたものと、
10年寝かせたものを、同時に味わうことは出来ないでしょう。

かといって、2008年に「10年もの」のワインと「1年もの」の
ワインを飲み比べてみても、それは違うワインですから、比較になりません。





ほとんどの人は、新米と古米を食べ比べたことは、無いんです。
特に、都会の消費者で、そのような経験が出来る人は、皆無だと思います。

でも、田舎で米を作っている人ならば、
そういう経験は出来るんですよね。

自分の田んぼで作った米を、何年間にわたり食べる家庭は、ありますから。

で、実際に何人かに話を聞いてみました。新米と古米、どっちが美味しいか。

一番多かった答えは「わからない」とのこと。
作っている農民は、新米と古米の違いが分かっていませんでした。
(もちろん、新米のほうが美味しい、という人もいましたよ)

保存状態が良ければ、古米になろうが、味はそんなに劣化しないんです。

・・・というか「劣化」という言葉自体にも、
新米のほうが上という価値観が入っていますね。

正確に言うのならば、古米というのは「まずくなる」のではなく、
「粘りが少なくなり」「臭いがつき(香りがつき)」
「硬くなり」「ツヤがなくなる」という変化です。

つまり。

「粘りが少ない、硬めの、米特有の香りがする、あまりツヤのないごはん」が
好きな人ならば、古米というのは、新米よりも美味しいものなんです。

米を貯蔵することによって「劣化」ではなく「熟成」されるということです。

東南アジア諸国では、新米よりも古米のほうが好まれています。
古米のほうが美味しいと感じる人が、日本よりも多いのでしょう。

「古米はまずい」という言葉は、
「うまい米は、粘りがあり、米特有の臭いが少なく、柔らかく、ツヤがある米」
だという前提があった上で、成り立つ言葉なんです。

古米のほうが美味しいと思う日本人も、少なからずいるかもしれません。

少なく見積もって、100人中1人だけしか、
古米のほうが好きじゃなかったとしても、
日本全体では100万人の「古米派」がいるわけです。立派なマーケットです。

「新米が美味しく、古米はまずい」というのも、一つの価値観に過ぎないのです。
(そして、保存状態がよければ、古米もほとんど変化しないという現実もある)



もう一つ、おまけに言えば。

「新物好き(あたらしものずき)」という日本人の特性も、
新米の価値を必要以上に高めているのではないでしょうか。

初鰹や、ボジョレーヌーボーのようなものです。
どちらも、味としてはイマイチですが、初物というだけで価値が高まります。

日本文化って、初物に価値を置いていますから。

新米も、本来の味以上に、「とれたての米」という気持ちの面で、
価値が高まっているのではないでしょうか。



古米の立場が上がれば、精米添加剤なんていう必要も、
なくなると思うんですがね・・・



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posted by 加藤のどか at 16:41| 食べ物のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月04日

水道水の話

田舎の魅力の一つといえば、水のきれいなこと。



大学生になって、はじめて東京に出てきた人は、
東京の水道水は臭くて飲めないといいます。

僕は、そのことが長年理解できませんでした。

僕は二十数年間、東京の水道水を飲んで育っていますから、
東京の水道水だったら普通に飲めます。

田舎の水が、東京の水より美味しいということは分かりますが、
東京の水が「飲めない」というのは、いくら何でもオーバーじゃないか、と。

そう思っていたんです。



しかし、慣れというのは恐ろしいもの。

田舎で暮らして1年も経たないころ。
久しぶりに東京に帰ったら、水がまずくて飲めないんです。

前は何とも思わなかったはずなのに、今では臭くて飲めません。

水道から変な臭いがするし、飲むどころか、
東京の水でシャワーを浴びるのも嫌だという意識になったんです。

はじめて、東京の水が飲めないという人の気持ちが理解できました。
田舎に住んでいるうちに、感覚が鋭くなったのでしょうね。



・・・と、思っていたら。
この間、畑で会ったオバチャンが、こんなことを言ってました。


オバチャンの家は、山間部の集落にあるんですが、そこには水道がありません。
山の湧き水で生活しているんです。

で、そのオバチャンは、昼間は町中で働いているのですが、
町の水(僕の家と同じ水道水)は臭くて飲めないので、
自宅の湧き水を水筒に入れて、持っていくのだそうです。

町の水なんか、臭くて飲めたものじゃないと言うんです。



まだ僕は、町の水道水をゴクゴク飲めてしまいます。
上には上がいるものですね。



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posted by 加藤のどか at 16:38| 田舎暮らしのこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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